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第6巻【近世・近代・現代編】- 第3章:産業・観光

第4節:養蚕・畜産

武蔵酪農創立四十周年の歩み

組合発足当時の思い出

小川町 島田俊雄 

 当組合の創立当時は旧八和田村には乳牛を飼育して居る方が九十何人か居たが、搾乳をして居る者はごく少数で森永乳業会社の埼玉酪農に属し牛乳は大字中爪の村境で集め各人交替で「トンカー」に積んで菅谷の駅前迄運んで行った。その頃新しい組合を作ると云う気運がもりあがり能増の佐藤さんが来て一人でも多く仲間を集め実現しようと始まったのが武蔵酪農八和田支部の前身だと思う。仲間が力を合わせ集乳所を建てたが始めの内は水槽もないおそまつな物だったが段々と改善して行った。搾乳順で号数を定め、一斗缶に大きく印をし自転車で運搬すると云う程度だったが、集まると色々の話題が出て、乳運搬には相当な時間を費やしたが、給飼の話や搾乳の自慢話作物の作り方などが出て、大へん役立つことが多かったと思う。
 最初の頃は毎月の十一日が乳代精算の日で支部長が組合から現金で受けとって来て支部員が集合して各人の計算をし、お金を分配し終わると順番で会場の家で御馳走を出しお酒をくみ交わし、他の農家では見られない交友を深めて居たと思われる。
 時には計算が合わないで随分と遅くまでかかった事もあった。それから忘れられない事は殆どの方が牛は飼ったが後の事はお先無暗であったが、幸い能増に牛乳屋をして経験豊富な増田重作さんが居たのでお世話にならない人は居なかったと思う。
 今でも思い出すのはやっとの事で組織が出来組合員がぼつぼつ増えて来た小川町の井上某と云う方がプラントを経営すると云う事で組合員の切り崩しに会って、増田さんと私の父親で最後迄残るのは二人だけかなと話した事が今でも忘れる事が出来ない。

『武蔵酪農創立四十周年の歩み』89頁〜90頁 武蔵酪農農業協同組合, 1990年1月
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