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第6巻【近世・近代・現代編】- 第3章:産業・観光

第4節:養蚕・畜産

養蚕

吉田稚蚕飼育所「物の怪」の記

                     小林武良

 昭和四十年代ある夏の夜のことである。七月下旬飼育所では初秋蚕の掃立が終り私も機械係として飼育所の任に当ることになった。機械係とは二人一組となって一昼夜勤務し、翌朝の交替制である。昼夜を通して二時毎にボイラーを点検し又、室内の温度と湿度の調整及び記録する仕事である。
 初秋蚕の稚蚕飼育も順調に経過したある夜のことであった。飼育所の地下室は日毎桑の量がふえるため桑が熱をもたないよう見回りも兼ねた。夏の夜は十二時間近となりボイラーを点検し、室内の温度と湿度を確認して、ひと休みしようと思い床につくと何者かそれとも猫なのか地下室の廊下を「カタカタ」と渡り歩くような音が聞える。あれっと思い起き上ると物音が消える。しばらくして又「カタカタ」と今度は廊下から階段を昇るような気配がした。念のため早速地下室を見回ったが何の姿もなかった。翌朝次の出勤者と交替したが深夜同じ様な物音を聞いていた。奇怪な現象が何日か続き飼育所内はその話でもちきりとなった。しかしそこは嶋田組合長の機転で「今晩一ぱい飲んで清めよう」と役員一同に呼びかけると話がまとまり夕方お酒が用意された。役員他みんなで酒を飲み乍ら語り合いそれが所内のお払いも兼ねた。するとその夜から奇怪な物音はピタリと止った。
 そして翌日飼育所は何事もなかったようにみんな元気な姿で仕事に励むことができた。
 吉田飼育所は宗心寺地内にあり近くに多くの墓地が散在している。昭和四十三年(1968)に始った飼育所は時の流れと共に嶋田忠治組合長から小林清治、藤野守一氏へと引継がれ、人工飼育の時代を経て平成九年(1997)一月十九日、三十年の歴史を終え春を待たず解体された。
 古き良き時代の夏の夜の物語りである(1999年1月)。

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