第6巻【近世・近代・現代編】- 第3章:産業・観光
菅谷館跡
梅の香と人の世は —— 菅谷城跡を尋ねて13 ——
熊谷泰作
歩を移して本丸中央に入れば檜林に囲まれる中央一角に高い姿を秩父連山にみ、清き流れを都幾川にみ、英雄重忠居館の地にふさわしい檜の標柱に見事な筆蹟にて描かれる。大文字をみる。よみ上げると我が人生にいいしれぬ力を感じてくる。曰く「雲山蒼々緑水注々先賢之風山高水長」と幼き日より血湧く思いで感迫って言い現わせなかった。私のみづみづしい体験の表現であり、血であり肉であり天声であり遂に人語として十六の文字によって表現されたのだという感じが私の胸に迫ってくる。この表現こそいや高き日本アルプス連峰の動かぬ姿を仰ぎいや遠き信濃川上流に四季に照りそう月、四時に匂う花を眺めて幼時を過した私には、一日一日ときざみこまれた人生の鉄則のような感じがする。「人は利剣を振へどもげにかぞふればかぎりあり 舌は時世をののしるも聲はたちまち滅ぶめり」【島崎藤村『若菜集』所収「秋風の歌」】と歌われているが山河秀ぐれた国に生まれたスイスの人々が想われる。昔治乱興亡は数多くあったであろうが、今海国山国を兼ねた日本も学ぶべき点があるのではなからうか。憲法により戦を放棄した日本平和の鐘はいつなるのか。
『青嵐』8号「菅谷城跡を尋ねて」菅谷中学校生徒会報道部, 1957年(昭和32)3月
本丸を埋門(うずみもん)より出て前方を見れば、重忠時代の持仏堂跡と思われる長慶寺跡の老松の林を深濠を隔てて仰ぐ。
「風楼いつか跡もなく 花もにほひも夕月も うつゝは脆(もろ)き春の世や」「「自然」のたくみ替らねど わづらひ世々に絶えずして 理想の夢の消ゆるまは たえずも響けとこしへに 地籟(ちらい)天籟(てんらい)身に兼ぬる ゆふ入相の鐘の声。」【土井晩翠『天地有情』所収「暮鐘」】と歌う無行無情の現世の生活において、重忠もよく真の武将として神仏を崇敬し、神社の興隆をはかり、寺を創建し、高僧の徳を慕い法を談じ出離の要道を聞いた。血醒(ちなまぐさ)き戦場に出で死生の境に出入し目の辺り人間の死の厳粛の気と人生の無常を観じた重忠は、俗界の煩悩を絶ち真底の平和を得ようとその鐘をならせた。その持仏寺の跡である。一日も早くこの宿命を打開しようとする信仰心にもえる重忠は真個として己に生き天をうらまず二俣川の露と消えていったのである。
長慶寺今はなくその鐘楼も今はないけれどその重忠の至誠は強く後人の心に生きて行くことを確信する。
※執筆者の熊谷泰作氏は当時、菅谷中学校教諭。