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第6巻【近世・近代・現代編】- 第3章:産業・観光

第2節:歴史人物・旧跡

鎌形八幡神社

埼玉県史蹟名勝天然記念物調査委員  
                         官幣中社金讃神社宮司 金讃宮守調査
一、名勝
 義仲産湯清水
一、所在地
 比企郡菅谷村大字鎌形字清水
一、現況
 此の清水は郷社八幡神社境内にありて、其拝殿の北の石崖の中より湧出しつゝあり。往時より常に絶えし事なしと云ふ。この水を筧(かけい)にて水盤に入れて、参詣のものこれを漱水の用となすと云ふ。此の清水の傍に木曽義仲産湯清水と彫せる碑石あり。年号を記せず。この水を入れる水盤には享保十五年(1730)正月と記しあり。故にこの建石も、これと同時に建設せしものならんか。
一、面積地種目
 神社境内地参千参百九拾参坪の内官有地第二種
一、管理者
 比企郡菅谷村大字鎌形 郷社八幡神社々社掌 齋藤竹次
一、創造沿革
 此の菅谷村鎌形の地は都幾川の流に沿ひて、後に塩山の景を負ひたる勝地なり。往昔久寿(きゅうじゅ)の頃帯刀先生義賢(たてわきせんじょうよしかた)の住みし大蔵館は、この都幾川の南岸に在り。然してこの鎌形の地に別墅(べつしょ)を設け、夫人山吹姫を住居せしめたるを以て、義賢の長子義仲はこの地に生る。その時この八幡神社境内の清水を汲みて産湯に用ひたるによりて、斯く木曽義仲産湯清水と称するに至れりと云ふ。この神社の西南二町余の所に、木曽殿屋敷と唱ふる地あり。この隣接地に班渓寺の古刹あり。これは義賢の夫人山吹姫が、義賢戦死の後尼となり妙虎と号し、こゝに庵室を設け、夫先生義賢の菩提を弔ひたりと云ひ伝ふ。因てこの班渓寺の開基と称して、古き位牌を伝へあり。
     開基威徳院殿班渓妙虎大姉淑霊
 この位牌に年号なし。寺の過去帳は、建久元年(1190)十一月二十二日と記しあり。この木曽殿屋敷と称する所が夫人の住したる別墅にして、義仲の子木曽冠者義高もこゝに生れしによりて、この清水を用ひて産湯に供し、産児の生先の幸福を祈りたりとも云ひ伝ふ。
一、引証及参考資料
 新編武蔵風土記、埼玉県誌、武蔵武士、八幡神社由来記
一、図解 別紙を添付す

木曽義仲産湯ノ清水畧図 比企郡菅谷村大字鎌形
木曽義仲産湯ノ清水畧図

『埼玉県史蹟名勝天然記念物調査報告書』第四輯 1928年(昭和3)12月 83頁〜85頁
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