第6巻【近世・近代・現代編】- 第3章:産業・観光
唱歌
東日本新名勝地・嵐山小唄(大塚梧堂先生閲)
一、此所はよい処武藏の国の
風も涼しい遊び場所
郷(さと)は名に負ふ嵐山 ギッチラホイ二、裾の槻川流れも清く
映(う)つる龍宮(りゅうぐう)松月樓(しょうげつろう)
淵(ふち)は小鮎(あゆ)の踊(おど)る場所 ギッチラホイ三、前の小山は松原広く
苔(こけ)の岩間に湧(わ)く清水
汲(く)めば涼(すず)しさ身に沁(しみ)る ギッチラホイ四、武士の典型(てんけい)重忠公の
城(しろ)の跡(あと)見りゃつゞいた丘(おか)に
農士学校聳(そび)え立つ ギッチラホイ五、少しへだてた道験(どうげん)山は
雲を突(つ)く様な岩の崖(がけ)
下は岩うつ瀧の音 ギッチラホイ六、ボートひき出て蚕影の淵(ふち)へ
行けばけわしき岩の崖(がけ)
上ぢゃ社の鈴の音 ギッチラホイ七、しもへくだりて落合あたり
ひるも小暗(おぐら)き森つゞき
川にのりでゝ水鏡(みずかがみ) ギッチラホイ八、共に手をとり大平山へ
登りゃ関東が一目にて
四季の景色の良い処 ギッチラホイ九、朝日将軍木曽義仲の
産湯(うぶゆ)清水で名の高い
郷社鎌形八幡宮 ギッチラホイ十、湯治(とうじ)しながら河鹿(かじか)をききに
行かうか遠山湯の宿に
秋は小倉に照る紅葉 ギッチラホイ十一、都はなれて三十哩
走る電車は一時間
その日帰りに丁度よい ギッチラホイ
次に、1930年代(昭和10年前後)、小川町の古い観光案内に掲載されていたものをご紹介します。
梅の林に香(かお)りを慕(した)ひ
今朝も来て鳴く人来鳥(ひとくどり)
山家育(やまがそだ)ちと見えぬ聲(こえ)
畑にゃ菜の花野辺には菫(すみれ)
狂ふ蝶々(ちょうちょ)のたはむれは
人も及ばぬ睦(むつ)まじさ
桜咲く日は物皆浮かれ
山に小鳥のジャズを聞き
川に雑魚のレビュー見る
お客こひして居ながらそれと
口に岩間(いわま)の山つゝじ
もゆる思ひの色に咲く
夏の夕(ゆうべ)は蛙(かわず)の歌に
いつかとゞまる人の足
空は蛍の帚星(ほうきぼし)
暑(あつ)い真夏(まなつ)も木かげに休み
きけば涼しい蝉(せみ)のこゑ
ラヂヲきくよなよい気持
秋は紅葉(もみじ)の錦を飾り
山もお客を待つ風情(ふぜい)
下の木の子も伸ばし首
前の塩山小松の上に
昇る円(まど)かの秋の月
田毎よりかもよい眺(なが)め
雪のふる日は枯木も花で
松はゆかしき綿帽子(わたぼうし)
岩に垂(た)れるは銀すだれ