第6巻【近世・近代・現代編】- 第2章:政治・行政
平成の大合併
市町村合併を考える13
6町村での合併研究会が発足
(滑川町、嵐山町、小川町、都幾川村、玉川村、東秩父村の6町村)6町村による合併推進について
広報嵐山7月1日号でご報告申し上げましたが、8市町村による「比企地域任意合併協議会」は、去る5月21日の会議において全市町村の合意に至らず解散となりました。町民の皆様には、先行きの見えない状況に不安を抱かれたことと深くお詫び申し上げます。
嵐山町広報『嵐山』147号 2003年(平成15)8月1日
私の市町村合併に対する考え方につきましては、当初から申し上げておりますように、「比企は一つ」ということに何ら変わりはありません。埼玉県の中核を成し、歴史的にも結びつきのある比企地域が一つとなり、自然豊かな緑園都市を形成することが私の理想とするところであるからであります。こうした実現のためには、今回の機運を逃さず、比企地域の市町村が可能な限り行動を共にし、それぞれの施策に協力し合っていくことが、今後重要になろうかと思っております。
しかしながら、今回の協議会は解散となったわけでありまして、その背景には、一挙に20万都市となることへの不安と、一極集中型都市への懸念があったのではないかと感じております。
私は当初、私自身が理想としている合併枠(8市町村)での調整を進めてまいりましたが、町民や議員の方々のなかに、こうした不安などにより、合併を消極的に捉えてしまうものがあるとするならば、この際、枠組みを狭め、さらに身近な町村である滑川町、小川町、都幾川村、玉川村、東秩父村との合併を「第1段階」とし、将来的に比企を一つにしていく段階的合併で進めていくことも選択肢の一つではないかと考えました。
3町3村の枠組みは、古くから「小川地区衛生組合」を通じての協同体であり、行政規模もそれほど大きく違わないことから、それぞれの町村の個性を活かしながら、新しいまちづくりができるという点においては「対等合併」にふさわしい形であるとも言えます。比企の西部地域が一つとなり、それぞれの町村が育んできた歴史や文化を尊重し、6町村が共に栄える8万8千人のまちづくりをスタートさせることも意義深いことではないでしょうか。
幸い、関係5町村の首長との合意も得られましたので、新たに滑川町、嵐山町、小川町、都幾川村、玉川村、東秩父村による新しいまちづくりに向けた研究を行ってまいりたいと思います。
21世紀は、地方分権の歩みとともに、市町村自らの責任と判断で政策やサービスを実施していくことになります。ことに、少子高齢化に伴う社会保障費の拡大や交通・情報通信技術の発達に伴う経済活動圏拡大への対応、住民ニーズの多様化・高度化に伴う専門職員の充実など、市町村の果たすべき役割はますます増大し、行政体制や財政基盤の充実・強化を図ることが重要となってまいります。これらを総体的に見たときに、嵐山町においても市町村合併は避けては通れない課題であると感じております。
また、今回の市町村合併には国、県の財政的支援があることが大きなポイントであると言えます。嵐山町も町民と十分に議論を交わし、期が熟した時に合併をするというのが理想ではありますが、合併には長い時間と労力、さらには多額の費用を伴うことも事実であります。これらを踏まえると、やはり国の財政支援の期限内である平成17年3月までの合併を目指すことが、妥当ではないかと考えざるを得ません。
この度の合併問題につきましては、町民や議員の方々を始め、私ども行政にとりましても、わが嵐山町の将来について真剣に考えるよい機会を与えられたと思っております。10年先、20年先を想定することは、目まぐるしく変化する現在において大変難しいことではありますが、先人達が培ってきたこの地を、いかに守り、発展させ、住民にとってより住みよい地とするかを、皆様とともに創っていきたいと考えております。
今後も、一層のご理解ご協力を賜りますようよろしくお願い申し上げます。
平成15年7月
嵐山町長 関根昭二