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第6巻【近世・近代・現代編】- 第2章:政治・行政

第4節:平成

嵐山町

嵐山渓谷 緑のトラスト保全地に決定

 嵐山町の町名発祥の地である嵐山渓谷周辺が、6月3日「さいたま緑のトラスト」第3号地として、埼玉県により取得・保全されることが決定しました。
 今回保全地に決まった地域は槻川橋の約1km上流細原(槻川の蛇行部)と大平山山ろくを中心とした樹林地です。
 この部分の変化に富んだ地形と豊かな自然環境が織りなす多彩な表情は、昭和初期、この地を訪れた本多静六博士(林学博士)によって武蔵嵐山(むさしあらしやま)と命名されるほどの絶景の地であり、また、昭和32年には、新日本百景に選ばれるなど古くから多くの人々に愛されてきました。
 現在でも、同地域一体は、優れた自然景観に恵まれ、貴重な小動物も生息しており、比企丘陵を代表する景勝地となっています。

保全区域は過去最大の12ヘクタール

 今回、保全地域に決まった嵐山渓谷周辺樹林地は、第1号の見沼田んぼ周辺(浦和市*1)、第2号の狭山丘陵・雑魚入樹林地(所沢市)に続いての第3号地であり、保全面積は約12ヘクタールを予定しており、緑のトラスト基金設立(1985年)以来、過去最大の保全区域になります。

*1:現・さいたま市


緑のトラスト運動にご協力を!!

 緑のトラスト運動は、広く寄附を募り、それを資金として土地や建物を取得したり、また、寄贈や遺贈を受けたりして、埼玉の優れた自然や貴重な歴史的環境を、県民共有の財産として末永く保全していこうという運動です。
 私たちの手で、力を合わせて、「さいたま緑のトラスト基金」を充実させ、私たちのふるさと嵐山の優れた自然や貴重な環境を保全し、次代に引き続いていこうではありませんか。
 ぜひ、ご協力ください。

基金にご寄附くださるかたへ

 この基金への寄附金は、埼玉県への寄附金となりますので、税法上控除があります。寄附に関してのお問い合わせは、、嵐山町役場都市計画課へご連絡ください。


武蔵嵐山の名付け親 本多静六博士とは……

 嵐山町の町名発祥の地である渓谷を武蔵の嵐山(あらしやま)と命名した本多静六博士とは、いったいどのような人だったのでしょうか。
 本多静六博士は、明治から昭和にかけて日本の林学、造林学の基礎を築いた人であり、日本で最初の林学博士として知られています。慶応2年(1866年)、埼玉県菖蒲町河原井の折原家に生まれ、東京山林学校に入学するまでの間、当時の河原井村で少年時代を過ごしました。
 明治25年に東京農科大学(現在の東京大学農学部)に奉職して以来、昭和2年に退職するまでの間はもとより、退職後も当時の東京府、内務、文部、鉄道、陸軍などの各方面の委員、嘱託、顧問として林学の普及に尽力し、日比谷公園、明治神宮外苑、大宮公園、羊山公園をはじめ各地公園、風景地、水源林などの設計改良にあたるなど、林学、造林学を通じて今日の日本社会の発展に大きく貢献したかたです。
 また、博士は、武蔵嵐山の由来を当時の新聞でつぎのように語っています。
 「わしがあの渓谷の奥にある山寺の住職本多文教さんに案内されて初めてあの景勝を探ったのは山といわず、渓谷といわずべた一面に紅葉に彩られた秋だった。百余年を経た亭々たる松林、幾十尺の岩頭にはいあがる真紅のつた、白砂を洗う清い水、岩間に雪を吹く激流実に京の嵐山の景そのままだったので思わずこれは武蔵嵐山だ!といったのがそのままこの地名となったものでともかく関東平野にまれに見る景勝地たる事は疑いありません。」

『嵐山町報道』457号 1996年(平成8)7月1日
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