ページの先頭

第6巻【近世・近代・現代編】- 第2章:政治・行政

第4節:平成

嵐山町

「里づくり」は「人づくり」
     十周年を迎えた町民文化大学

 もののゆたかさから、心のゆたかさを求めて私たちの生活は変ろうとしています。
 一人ひとりが人間として尊重され、健康でいきがいのある明るい生活ができることと併せて、嵐山町ではふるさとの限りない発展を願い「文化をはぐくむ町」を一つの目標としています。
 昭和五十六年(1981)二月に嵐山町文化行政推進委員会により、「里づくり文化構想」の実現をめざしてその方向と提言がまとめられました。
 大きな柱としての町民文化大学が同年六月二十一日、国立婦人教育会館を会場に開講されました。
 本年、十周年を迎えるに当って、原点を探りながら現状を把握し、さらに二十一世紀に向けての将来像を考えようということで、「ひろげよう十年の成果を」をテーマに、パネルディスカッションが開催されることになりました。
 町民文化大学の十年を踏まえながら取材してみました。

大学草創期

 十一月十一日勤労福祉会館において、パネルディスカッションにさきだち、「町民文化大学のあすを考える」と題して、町民文化大学運営委員会会長の開発欣也氏の基調講演が行われました。
 嵐山町には、すでに培(つちか)われた教育の土壌があったこと等、氏のゆたかな学識と真摯な語りで、大学の草創期の説明がありました。さらに町民文化大学の十年の歩みと現状が述べられました。
 昭和五十六年(1981)六月二十一日「町民文化大学」は町民の資質の向上をはかり、嵐山を知り、嵐山を愛し、人と人とのふれあいを大切にし、自治と連帯によってゆたかな里づくりを進めるという主旨で開講されました。
 コースは、必修と選択の二つに分かれ、必修コースの講師として、当時の婦人教育会館々長縫田曄子氏や、元文部大臣永井道雄氏らの名が見られます。また、選択コースでは、女性講座に女性として初めてエベレスト登頂に成功した田部井淳子さん、健康講座にはマッサージ実習など、有名人や特色のある講座がもたれています。
 「里づくりボランティア精神」の涵養(かんよう)にも貢献できるものと期待された様子が、当時の報道二九九号に見られます。

十年のあゆみ

 十年の経過を、開催された講座でたどってみますと、歴史、焼きもの、女性、健康、ふるさと、文学、音楽、俳画、読書、コミュニケーション、太極拳の十一講座です。
 のべ受講生は二千三十九人となります。因(ちな)みに、開講時の受講生は二百六人、平成二年度は二百十一人です。
 規定の修了認定を受けた人は、平成元年度までですが、六百七十四人(うち男性八十人)となっています。
 つぎに受講生を地域的に見ますと別表のような状況です。
 人々が自主的に学習したいと思う時、会場が近いとすぐに利用できますが、一方では遠隔地のためという地理的条件が問題にもなっているようです。
 大学の特長としてはつぎのようなことが定着しています。
一、目標を「里づくり」におき、実施の母体は町長部局においたこと。(社会教育との基本的な相違)
二、運営委員十名によって企画から運営まで委(ゆだ)ねられていること。
三、波及効果として新しい文化活動が生まれたこと。
 例えば、「焼きもの同好会」(焼きもの講座)「歩こう会」(健康講座)「俳画教室」(俳画講座)「太極拳同好会」(太極拳講座)等。

別表
 受講生中央部南部北部町外
昭和56年度32111220926113389
571293594111882
5813948911232104
591312910210610132
6012719108113482
61144181261225125
6214323120130562
632063617017110223
平成元年度243292142204109
2211251861914124
1,7943741,4201,5486513942

町民文化大学運営委員会提供 ※昭和56年度は申込者数

ひろげよう十年の成果を

 十周年記念としてのパネルディスカッションでは五名のパネラー(受講生)から体験発表がありました。
 受講の理由や、学習が自他にどう生かされているか、また、町民文化大学の原点である「里づくり」を語り合い再確認した場面もみられました。
 会場の受講生からも活発に意見が出されました。
 情報社会に対応するために情報を処理する意欲や能力を身につけることの必要性を実感していること、ドイツ統合や、米ソ関係の氷解など思いがけない時代の流れを目のあたりにして、地球人として世界的な広い視野からの見方、考え方が求められている。という切実さの中に、時代に合ったカリキュラムを望む声もありました。
 また波及効果としては、同好会どまりにしないで、町の内外にPRしてほしいという要望も出されました。
 十一月三日の文化展や、東松山市で行われるスリーデーマーチに嵐山町の「歩こう会」として参加してほしいなど、具体的な提言や、話し合いが行われ、初めての試みとしては有意義なパネルディスカッションでした。
 当日の司会者でもあり、運営委員歴十年の武谷敏子さんに、十年を振り返ってのお話をうかがってみました。
 『開講当初は、ちょうど〝国連婦人の十年〟の中間年ということもあって、選択コースに女性講座を設けて婦人問題をとりあげたということもありました。歴史のひと齣(こま)になりましたね。
 町民文化大学が、よそから講師や、パネラーを呼ぶこともなく、いわば身内だけで今回のようなパネルディスカッションを開くなんて、………十年たったんだなあと改めて思います。
 特にこの十年は、昭和から平成へと日本の歴史は勿論、想像もつかない早さで世界の状況は変ってしまいました。
 いまや政治も経済も、すべて地球レベルの視点が必要になっています。
 私は町民文化大学を町民教育の場と捉えたいのです。
 町をよくするためには、町民の一人ひとりが意識を変えることにあると思っています。
 私達の生活は、どれひとつとっても政治につながっているわけですから、政治をよくしてこそ地域社会がよくなるのであって、そのために町民の学習の場が必要だし、それがまた重要な役割を果たすことになると思うのです。
 町民文化大学は、企画から運営まですべて民間の自主性に委ねられていて、行政主導型とは違うわけです。だからこそ町民教育の場と考えたいのです。
 いずれにしても十年とは長いようですけれど実際には考えたことの半分も実現できませんでした。』
 教育は一朝一夕に成果の見えるものではありません。ゆたかな心を持ち、たくましい人間であるために「物ごとの本質を見極め、心理【真理】を求める心」「人を思いやるやさしい心」「他人と協調して仕事のできる能力」「より高い価値を求め、自ら生きる目標の実現に努める態度」など、個人の資質向上によって、自己実現していく地道な努力が必要です。その上に「里づくり」構想を図るために基礎をさらに充実発展させ、新しい文化を興し、中断することのないよう長期計画が必要だと思います。
 以上を実現するためには核となる運営委員の研修は欠くことができません。

生涯学習との共生

 嵐山町でも生涯学習推進のための取り組みが、いよいよ本年度から展開されます。
 そこで独自の理念を持つ町民文化大学が、社会教育や民間主催のカルチャー教室などと、どう共生していくかが今後の大きな課題だろうと思われます。
 信頼と連帯に満ちた「里づくり」をめざして開講されるものである以上、それらの成果は、常に学びの場から生まれるものであり、帰するところ絶えざる自己啓発が肝要であるという以外にはありません。
 本年度最後の講義は、十二月二日、十周年のしめくくりにふさわしく、町民文化大学の生みの親でもある前町長の関根茂章県教育委員長の講演です。
 演題は「次代に期待するもの」が予定されています。

『嵐山町報道』390号 1990年(平成2)11月29日
このページの先頭へ ▲