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第6巻【近世・近代・現代編】- 第2章:政治・行政

第2節:昭和(町制施行前)

菅谷村

町名を嵐山町と決定
       式典は四月十八日に

 昭和三十七年十二月、菅谷村の町制施行準備委員会設置要綱設定以来既に満四年を経過した。
 その当時は町としての要件も完備に至らず、特に中心地の連たん区域内の戸数や非農村的業等に問題があり、なお一般村民の町制準備態勢も低調そのものであった。
 その後丸四年の今日、諸産業の進出はいちじるしく村内の商工業の発展は急促な伸びを現出して参った。現況は人口約一万戸数二、〇三八戸、連たん状況も五二、三パーセントに伸び都市的業態も五〇パーセントを上廻っている。
 右【上】の如く町制施行の条件が整ってきたこと、又本村発展上大いに意義を持つこと等町制施行の時期既に当来ということで、村内一般住民の町制熱意が大いに上昇して来た点を察知して準備委員会は全員賛成で町制実施に踏み切った次第である。
 そして委員会は次の実施案を定め、村内啓蒙に当たることとなった。
一、町名は嵐山町とする
二、実施期日は来四月十五日とする
三、町歌町章は追って公募する
四、実施を四十二年【四月十五日】とした理由
1、埼玉国体実施の記念の年であること
2、本村合併記念日が四【月】十五日であること
 町制施行については各区の意向を徴しこれを統合して実施にふみきることにになった。この準備委員会は去る十二月十三日に開催され、町制実施の条件が整って来たこと本村発展上意義深いこと等を、村民を代表して全委員が満場一致決定したことによるものであるとにかく町制施行の長い念願が、その機既に熟して実現に邁進できたことは事実である。
 以来、村執行部は実施についてその準備を進め、県当局の市街地現況踏査も済み、一月十九日には臨時村会議を招集して現村名を町名に変更する議案も議会全員起立のもとに可決決定となった。この決定に基づき一月二十七日付で、菅谷村の名称を変更する条例の申請嵐山町にする申請を県知事に提出した。これは議案として二月県会に上提されることになるので、その中認可となる予定である。
 なお町制施行は四月十五日に決定しており、当日が県議の統一選挙日となるため、記念式典は四月十八日に実施することとなった。町内の祝賀として全世帯に記念植樹苗木として、大王松と町章入り手拭を小中学児童生徒には「町制施行記念」名入りの鉛筆を配布することになっている。

『菅谷村報道』171号 1967年(昭和42)3月10日
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