第6巻【近世・近代・現代編】- 第2章:政治・行政
菅谷村
時の人
議長になった山下欽治氏
議長になっての感想はと問うと「どうもよわったことになったと思った」と答へた。彼自身も議長になろうなどと考えてもいなかっただろう。
『菅谷報道』75号「時の人」1956年(昭和31)11月10日
とに角、村長選挙には前議長栗原侃一氏の選挙事務長となって最高の責任を負っていたのだから、その選挙に敗れたとあっては、前議長に対する手前もあり、大いに気の引ける話であったろう。
鎌形地区が分村するという騒ぎが起こった時、弁が立つのと実行力があるので推されて二十四年(1949)三月の選挙に出たのが村政に関係した始まり。議会 でも注目される人間となり、二十八年(1953)に再選、三十年(1955)十月合併後の選挙にも三選して副議長となった。
身体は小型だが熱が あり、理論的なタイプなので、政治家としては将来性があろう。然し、彼の言は往々にして相手の感情を害するような鋭く強いところがあるので嫌われている点 もある。野党派議員の総師としての彼が議長になって、どれだけ青木村長とこれら議員との間をうまく調整させて行くか、彼の出処進退は今後の村政に大きな影響を与えるだろう。
明治四十一年(1908)生、四十八才、鎌形出身。