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第6巻【近世・近代・現代編】- 第2章:政治・行政

第2節:昭和(町制施行前)

菅谷村

論壇

新村の発足に際して

四月十五日から旧菅谷村及旧七郷村が合併して新に菅谷村が誕生致しました一昨年合併促進法が公布以来全国的に町村合併が推進され特に比企郡下でも昨年七月東松山市吉見村の発足をはじめとしてつぎつぎに新町村が誕生し我が菅谷村及鳩山村(旧亀井今宿)の発足によつて本郡の合併は殆んど完了し其の実績は県下でも第一の成績を示したことは誠に御同慶に堪えません。本村の合併は比企郡としてはしんがりを承つた次第ですが合併に至る過程を考えますと其の間旧両村民の努力は筆舌につくすことの出来ないものがあり結局愛村の精神から小異を捨て大同につくと云ふ犠牲的精神の結合によつて此の歴史的大事業も完成した次第でありまして直接第一線に立ち合併を推進された指導者各位の御功績は勿論でありますが御理解ある御協力をおしまなかつた村民各位に対し敬意を表する次第であります。
新村菅谷村が誕生したとは申せこれで合併の目的が達成されたのではなく問題はむしろ今後にあることを村民と共に吾々は自覚せねばならぬと思ひます新村の発足も之れを建築に例へますれば土台が出来骨組が終つた程度でありましてそれだけでは家としての価値はなく更に住宅として必須な条件を工夫して施し始めて明るい住み心地のよい立派な住宅となることは御承知の通りです新村も今後肉をつけ血を通はしてこそ始めて新村の価値も合併の意義も達成したことになるのでありまして新村の育成強化こそ村民にかせられました最大の任務と存じます。此の重大な時に浅学非才の身を以て村長職務執行者の重責を担ふことゝなりました。もとより其の器でないことは充分承知致して居りますが、従来からの関係上御引受致すことゝとなりました。この上は村民各位の御期待に副ふべくいさゝか今日迄の体験を生かし新村の育成強化に最善を尽す覚悟でありますから何卒一層の御支援と御協力を切に御願申上げます。
新村菅谷村は南北三里余に及ぶ細長い村で四月十五日現在で世帯数一、五八二。人口九、三九三人で規模としては最小であり、且村の形状から見ても決して望ましい形状ではないので将来更に適当な地区と大同団結し財政的にも内政的にも真に独立して行ける確固たる自治体を育成することに村民と共に専念致したいと思ひます。
前述のやうに本村は地形的には望ましい型ではないが地理的には東松山市西に小川町東上線を通じ、東京都に一時間半といつた極めて恵まれた置にあり、然も地勢は平坦地と山間部との中間に位した農村地帯であるが、耕地と山林が殆ど相半し農業経営には有利な条件を備へて居るので、この特色を充分に活用することにより単純な地帯に比し極めて有利な農業経営も可能で、其の面を遺憾なく活用することによつて始めて村民の福祉増進も期せらるゝと思ふので、今後一段と其の面に意を注ぎ自然の恵に応へたいと思ひます。
尚本村には県指定の比企丘陵自然公園があり其の内には武蔵嵐山の勝景地を始めとして数多くの史蹟名勝地があり、其の上地の利を得て居るので四季を通じ観光客多く更に施設を充実し観客の誘致を計つたならば、外来客の殺到することは過去の実績から明白なことでそれ等による直接間接の収益は村民の経済に直結するので村民と共にこれが対策についても充分考慮すべき問題であると思ひます。
終りに本村も新村として誕生早々でありまして村民の皆様に何かと御不便を御与へする場合もあるかと心痛致して居りますが職員一同御期待にそふべく親切叮嚀を「モツトー」として村民に親しまれる役場となるやう努力致して居りますから、一層の御協力と御支援を御願申上げます。特に旧七郷村役場は支所として、支所長以下職員十名を配置し合併による一時的の不便を極力さけるため窓口事務は従来と変りなく処理出来る組織となつて居りますから、折角の組織を充分活用していたゞくやう御願申上げます。
新村発足早々で村民の皆様にも御目にかゝる機会も少ないので報道紙上を通じ合併に対する御協力に感謝申上ぐると共に、所信の一端を申述べ御挨拶と致します。
 菅谷村長職務執行者
        高崎達蔵

『菅谷村報道』56号「論壇」 1955年(昭和30)4月25日
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