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第6巻【近世・近代・現代編】- 第2章:政治・行政

第1節:江戸・明治・大正

大正時代

旧菅谷村・七郷村

大正9年(1920)事務報告

町村制第百十三條第二項に依り大正九年一月一日より仝年十二月三十一日に至る一ヶ年間の役場事務の概要左【下】の如し

一、一般事務
 本年中に受理したる文書件数は二千百件、口頭申請に係るものは八十七件、発送文書件数は千七百五件、前年に比し二百九十九件の増加を見たり而も事務繁捷を主とし印刷処理して停滞せざる様勤めたり

二、村会
 本年中村会を開くこと七回会議は最も平穏にして提案諸件は満場一致通過決定せり

三、納税状況
 納税者は納税の義務を重んじ指定期日には大体の納入を見るに至れり

四、学務状況
 本日茲に本村村会を開会するに当り本村学事に関する一般を報告するの機会を得たるは小職の欣幸とするところなり惟ふに世運の進歩は教育の普及徹底を要望し小学校の内容の改善に実業補修の革新に社会教育の施設の拡充に国民一層の努力を輸し国力の根底を教育によりて啓沃せんとしつゝあるは国家将来のため寔に慶び堪へざるなり
 飜(ひるがえっ)て本村学事の大要を通観するに未だ以て理想域に達せりと云ふを待ずと雖も漸次向上発展の気運に向ひつゝあるは信じて疑はざるところにして小職の意を強くする所以となり希(ねがわ)くは今後各位の努力に因りて清新溌剌なる本村教育の振興を策励し以て国家の期待に添はんことを期す

一、学齢児童
 本村学齢児童は男二九五人、女二七四人にして一人の不就学児童なきは洵に愉快とするところなり。就中高等科入学児童大正八年(1919)度に比して八五人増加を見るに至りしは保護者の教育に対する理解の向上せるものにして意を強くする所以なり然りと雖も出席歩合郡中未だ優位に達せざるは遺憾とするところなり

二、学校衛生
 学校衛生に就ては職員日常注意を払い採光通風朝夕怠らざるの結果年々トラホーム患者数減少しつゝあるは数字の示すところなり。客年十一月十二指腸蟲検診も実行したるが検診児童二二二人に対し七六人の有卵者数なるが県下の状況に比し甚だしく有卵者僅少なるは児童家庭の衛生上注意せる結果に依るか■■校地の乾燥にして日光空気の流通宜ろしきに適ひたる結果に依るか喜ぶべきの現象なりとす

三、学齢児童保護会状況
 貧困児童として学用品を給与したるものは大正八年(1919)度に於て【氏名略】外五十六人なりしが大正九年度は実際児童の家庭の生活状態を調査し真に窮貧児童と認むるもの【氏名略】外二十四人とし補給の効果を徹底せしむことゝなせり
  保護者収支要覧
   収入部
種目       金額
前年度繰越金   23円94銭
本年度対策補助  30円
県交付金     25円
計        78円94銭

支出部
種目           金額
教科書購入費       9円54銭
筆、墨、石盤、硯、其ノ他 5円37銭
計            14円91銭

四、職員の修養
 学術の進歩は段々乎として底止するところなきを以て之れが研鑚を怠らん哉。日進の大勢に順応すること能はざるべし。本村小学校職員茲に考ふるに日常書類雑誌を講読するは勿論機会ある毎に私費を投じて購読会に出席して学術品性の向上を図り居れり左記【下記】は職員の夏冬季に出張せる講習一覧なり

  期間   学科  場所      氏名
夏期一週日  理科  東北大学内   千野幸三郎
  〃    〃   東京大学内   初雁利一
十日間    体操  埼玉師範校内  金子慶助
  〃    〃   東京高等師範内 森田興喜
  〃    〃     〃     千野久良
  〃    理科  松山小学校内  安藤義雄
  〃    体操  ■■学校内   馬場覚治
 二十日間  農業  熊谷農学校内  大塚禎助
 十日間   理科  東京大学校内  田島竜吉
 七日間   音楽  埼玉師範内   千野幸三郎
  〃    〃     〃     金子慶助
○視察旅行
  一、島根、鳥取、京都、大坂、石川、富山地方  千野幸三郎
  二、静岡、神奈川地方  井上丑治

五、加設科目の成績
 熊谷農学校■仲教諭本村小学校を視察せられ知事に復命書を呈出せしが左記【下記】■■の一節なり
視察せる学校は唐子、八和田、七郷、明覚、伊草、中山、北吉見の七校にして之れを総評すれば設備、学科、教授実習、主に努力の状況等一般に良好にして特に、唐子、七郷の二校は模範的と云ふを得■■、北吉見、中山、八和田の三校之れに次ぐ。伊草、明覚の二校にありても又特異の長所なきにあらざりしも改善の余地あるものと思惟せられたり
 1農場収穫物
  実習地 収穫高       金額   備考
  水田  玄米 一六石三升  70円75銭 水田実習地
  畠地  小麦 一三石一升  26円85銭 畠  〃
      大豆    四斗
  桑園  桑  一八六〆   21円   桑園実習地
  果樹園 梨  一五〇箇   33円   果樹園
  其他  野菜        66円20銭
   計金 128円50銭
 2一蛾養蚕
  熊谷農学校品評会(出品して二等となれり)

六、学校並に児童数
           生徒数
年度次   学級数 男  女   計 日々出席平均 入学生徒数 卒業生徒数
大正三年度  7   235 227  462  428.000   110     76
大正四年度  8   242 222  464  428.000   117     64
大正五年度  9   244 206  450  411.290    97     65
大正六年度  9   232 218  450  432.030   105     78
大正七年度  10   256 230  486  460.180   134     87
大正八年度 【判読不可】                     90
大正九年度  11   279 253  532         145

七、参観人来校
 参観人数を以て学校の内容を忖度することが能はずと雖も職員参観人を迎る度に一層緊張味を加ふるは勿論日常熱心授業に当らずば優秀なる児童の成績を挙げ得ずして面目なしとの自覚は各自認知せるものの如く本村教育発展上痛心の快事と云ふべきなり。就中児玉、北足立、入間三郡の郡教育会代表者視察員女子師範校教生一行を迎へたるは本村教育の名誉とするところなり

  本年度主なる参観人
四月二十日  児玉郡共和村長 熊八寺  山田保之助
  〃        秋平小学校長   福田直次郎
五月十九日  北足立郡■■小学校長   馬場■一
  〃      〃  教育会代表者  清水直一郎
         〃          岸 慶治郎
         〃          蓮沼■太郎
       大里郡桜沢小学校     島田佐十
         〃          久保要助
         〃 花園小学校    奈良吉三郎
         〃          神山忠三
六月二十三日 児玉郡教育会代表者    茂木治郎
         〃          塚越廣吉
         〃          田中武夫
         〃          桜井茂一
         〃          清水健治
七月六日   川越中学校教諭      金子道啓
       本郡大河小学校長     高橋輝治
       外に当日郡内参観人七名
九月七日   本郡菅谷小学校長     田中長亮
       外に当日郡内参観人拾壱人
十一月八日  埼玉県女子師範学校訓導  中里勝平
         〃      教生  中原すみ
         〃      〃   七名
十一月十八日 入間郡教育会代表者    矢澤仁兵衛
         〃          新井喜惣次
十一月十九日 埼玉県師範学校教諭    笠原房平
       外に当日参観人六名

八、国勢調査意義宣伝
 国勢調査宣伝歌、仝浪花節等を作製■は青年会処女会を開催し其の意義の普及と徹底とを期したり

九、施設
1、奉安殿
 本年度校庭に壮厳なる建築をなすに至りしは御尊影御警固上且又白室精神涵養上遺憾なきに至りたるは角井と共に意を安ずるを得べきなく然り而して不日落成の運びに至るべきを以て御影奉遷の儀を行はんとす
2、児童通学道路改修
 校舎門前通路は雨天の際は泥濘の没するの有様にして低学年児童昇校上甚困難なりしを以て本年七月砂利を敷き入れて改修を行へたり
3、屋根修繕
 本校舎中央の一部屋根瓦破損せるを以て直ちに応急修繕を行ひたるも未だ一部に修復を要する個所あるを以て大正十年度に於て更に修理をなさんとす
4、渡廊下の修理
 前校舎より裏校舎に至る渡廊下従来土の間なりしを以て高低を生じ児童の通行上不便多かりしを以て改修を行ひコンクリートとなせり

一〇、青年団
1、見学旅行
 青年団員の意志鍛錬をなさんとせしがために本年四月妙義山に強行遠足を実行せり
2、品評会開催
 農村青年として勤労の精神を涵養すること第一要義なるを以て手綯米俵縄品評会を開催せり
3、奉仕事業
 本年奉安殿建築地築立地土工人夫百五十六人に寄附せられたり
4、運動会
 青年として体育の必要なることは言を要せざるところにして天長節、祝日をとし盛大なる運動会を開催せり
5、講話会
 二月十八日精神修養講話会を開催す

一一、處女会
1、敬老会
 敬老の美風は一家和楽の根底なるに以て記念品を調製し村内は八十才以上の老人に贈呈せり
2、講話会
 熊谷高等女学校長高柳悦三郎先生を聘し修身、作法、講話会を開催す

五、衛生状況
 清潔法の励行及種痘励行等注意を払へたり。併し本年は不幸にして伝染病発生し多くの人命と多額の費用を要したり。其の概人員及経費左の如し
人員  十七人 内死亡 四人  全治 十三人
経費 金二千二百五十七円也

六、勧業状況
 諸種の塩水撰、冷水温度浸法等農業上注意を払へたり

七、兵事状況
 普通検査合格者入営等事務進捗を計りたり

八、社寺戸口状況
 指定村社二社をして三大祭を執行し一般崇敬の念を高めたり。戸数は五百三十九戸にして人口三千五百六拾六人なり

九、土木状況
 大字古里の道路修理及大字杉山の暗橋の修理等工事の完成を得たり

嵐山町行政史料(1921年(大正10)2月23日、七郷村会提出)
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