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第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌

第11節:社会科副読本

『わたしたちの町 らんざん』昭和52年(1977)

嵐山町年表

むかし 
一〇〇〇年以上前千手堂千手院慈恵大師により開かれる
八〇〇年以上前木曾義仲 大蔵の館に生まれる
七〇〇年以上前畠山重忠菅谷の館を立って鎌倉に向い二俣川にて殺される
一五〇年以上前狂歌師 元杢網八十一才にて歿す
明治 
一八七三 杉山小学校ができた(学校のはじめ)
一八八六埼玉県になった
一八八九 旧村合併して菅谷村(九ヶ村)七郷村(七ヶ村)となる
一九〇九菅谷村駐在所ができる
大正 
一九二一菅谷地区に電気が入る
一九二三東上線が通り武蔵嵐山駅ができた
関東大震災で大きなひがいをうけた
昭和 
一九二九畠山重忠像が菅谷館跡に建つ
一九三一 菅谷村に電話開通(一三本)
一九三五菅谷に大火あり、菅谷尋常高等小学校も類焼する
一九三八 菅谷小学校今の位置に建つ(工費五万五千円) *1
一九四一太平洋戦争がはじまる
一九四七菅谷 七郷両中学校設立される
一九五五菅谷村・七郷村が合併して菅谷村となる
一九五八 鎌形小学校給食開始(村内初めて)
一九六一 役場新庁舎落成(鉄筋二階建)
 〃  武蔵嵐山駅より東松山へバス開通
 〃   嵐山カントリー(ゴルフ場)開場
一九六二菅谷小学校給食開始
一九六三武蔵嵐山古里間にバス開通
一九六四菅谷幼稚園開園
 〃  村営水道給水開始
 〃  菅谷中学校・七郷中学校給食開始
一九六五菅谷中学校体育館落成
一九六七嵐山女子高校が開校され一六二名が入校する
 〃  菅谷村町制を施行して嵐山町となる
一九六八菅谷中学校プールができる 七九五万円
一九六九七郷小学校プールができる 一七三五万円
一九七〇自動電話局開設となる
一九七一町立幼稚園 東昌会館を借用開園する
一九七二菅谷小学校新築落成 一三七八〇万円
一九九二大妻女子大学嵐山女子高校となる
一九七三全町水道給水を始める
 〃  町立幼稚園完成
一九七四七郷小学校改築工事落成 一億七千六五万円
 〃  菅谷小学校プール竣工
一九七五菅谷中学校落成 四億五〇〇万円
一九七六コロニー嵐山郷
 〃  歴史資料館落成

*1:新築の校舎に卒業学年の児童が移動したのが1938年(昭和13)9月から、全校児童が新校地に移ったのが1939年4月からである。

嵐山町社会科研究部『わたしたちの町 らんざん』(1977年3月)
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