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第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌

第11節:社会科副読本

『わたしたちの町 らんざん』昭和52年(1977)

五、町のうつりかわり

(3)むかしのくらし

 家はみな、わらぶきのやねで、ほとんどの人がのうぎょうをしてくらしていました。
 のうかには、だいどころという広い土間があり、たべものをにたりやいたりするのにつかう、大きないろりがありました。あがりはなには、てつびんをかけた火ばちがおいてあり、夜はここで、ランプをともし、わらしごとや、はりしごとなどをしていました。
 だいどころのすみには、たいてい馬屋があり、多くの家で馬をかっていました。
 庭は、いねやむぎをほしたり、いろいろなしごとをする大切なところでした。ですからほとんどののうかに、日あたりのよい、風があたらない、広い庭がありました。
 このころつかわれたどうぐには、せんばこき、くるりぼう、からうす、とおみ、石うすなどがあります。かいこもたくさんかっていたので、まぶしおりき、かいこかご、もみがらやきのどうぐなどがどこのうちにもありました。
 はたおり、糸くり車、あんどん、ランプ、ちょうちん、田ころがし、馬ぐわ、くわつみなど、むかしのどうぐをあつめて、何につかったものか、おじいさんやおばあさんにお話をきいてみましょう。
 ぼんと正月、菅谷神社のおまつり、根岸の観音様、鬼鎮神社の節分祭、八宮・兵執神社のささらなどは、人々の楽しいおまつりのひとつで、ふだんのしごとのつかれをなおしたり、しぜんや神仏への心をあらわしたものです。
 このころは、お店もよろずやが一けんぐらいしかありませんでした。このお店はなんでもうっていたので、村の人たちみんなが利用しました。

嵐山町社会科研究部『わたしたちの町 らんざん』(1977年3月)
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