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第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌

第11節:社会科副読本

『わたしたちの町 らんざん』昭和52年(1977)

四、交通や通信

 町の人たちは、よその土地と行き来をしたり、話をしたり、また車で物をはこんだりして、くらしています。

(1)道路、電車、バス

・道路
 嵐山町とまわりの市町村をむすぶ、おもな道路は、県道です。県道は、熊谷、小川、玉川、東松山、寄居をむすぶ道路が走っています。これらの道路は、全部ほそうされてよくなっています。
 また、嵐山町には、国道二五四号線という道路が走っています。この道路は、交通量がふえ、朝の七時〜九時の二時間で、約一八〇〇台もの自動車や自転車、バイクなどが走っています。(昭和五十一年九月調べ)そのため、町の中がこんざつするようになってこまるので、南部にバイパスを作る工事がすすめられています。

・電車
 嵐山町を通っている電車は、東武東上線です。さい近ではだん地ができたり、遠くへ働きに行く人が、多くなったので、のりおりする人が多くなってきています。
 町の人たちは、東上線を利用するのに、武蔵嵐山駅や小川町駅などからのります。駅までは、とほ、自転車、バイク、車、バスなどで行きます。

・バス
 バスは、東松山から武蔵嵐山、小川から熊谷、古里から武蔵嵐山、東松山から玉川をむすぶ四つの線がありますが、一日に通る回数は、あまりありません。でも、町の人たちのたいせつな足となっています。

嵐山町社会科研究部『わたしたちの町 らんざん』(1977年3月)
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