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第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌

第11節:社会科副読本

『わたしたちの町 らんざん』昭和52年(1977)

二、町の人々のしごととくらし

(5)つとめにかよう人びと

 わたしたちの町では、どれくらいの人たちが、つとめにでているかしらべてみましょう。「町の人びととくらし」のところでべんきょうしたように、四割(わり)ちかくの人たちは農家(のうか)です。農家(のうか)の人たちでも、さい近では、つとめにでる人たちがふえ町の工場やゴルフ場につとめています。中には、東京方面にまで働(はた)らきに行っている人がいます。

表:嵐山町の人たちのおもなつとめ場所

  昭和45年(1970)国せい調査
県内  1477人
東松山  513
川越   170
小川   157
熊谷   88
鶴ヶ島  92
坂戸   60
滑川   56
玉川   36
江南   31
朝か   25
浦和   15
大宮   14
飯能   14
さやま  12
しき   14
にいざ  18
和光   16
上福岡  16
寄居   13
その他  117

他県  369人
東京   348
千葉    7
神奈川   9
その他   5

嵐山町社会科研究部『わたしたちの町 らんざん』(1977年3月)
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