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第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌

第11節:社会科副読本

『わたしたちの町 らんざん』昭和52年(1977)

二、町の人々のしごととくらし

(2)のうかのしごと

・こめと麦つくり

 子どもの日を中心にして、どこののうかでも、たんぼに、もみたねをまいて苗代つくりをはじめます。
 さい近では、きかい植えをする関係から箱で苗つくりをする家が多くなってきました。田植えは、六月中旬ごろからはじまります。この頃は「つゆ」といって雨がよくふりますが、苗のうえつけには、大事な役わりをはたしてくれます。また、この時期は「つゆ」の晴れ間を見つけて麦のかりいれなど、しなくてはならないので、のうかにとっては大へんいそがしい時期です。
 田植えがおわると除草剤や殺虫剤などの薬を、たんぼにまきます。のう薬を使うようになってから、のうかのしごとは大へん、らくになってきましたが、薬公害という、あたらしい問題がおきてきました。
 植えつけがすむと、田んぼに水をひくことがだいじなしごとになります。
 のうかにとって心配のたねは台風です。せっかくつくった稲も台風のために、すっかりだめになってしまうことがときどきあります。
 稲かりは十月なかば、お日まちを過ぎるころから一せいにはじまります。さい近ではバインダーを使ってかり取りをする家が多くなって、しごとはずっと能率的になってきました。
 麦まきは十一月に入ってからはじまります。しかし、いぜんとくらべると作づけ面積はずっと少なくなってきています。
 のうぎょう生産のとくしょくは、天候によって大きく左右されるということです。低温がつづけば病虫害は発生するし作物の生育はとまり、収かくは少なくなります。また干ばつになるとこれまた作物の生育はとまり、ときには枯れるばあいがでてきます。

表:米と麦の生産高(政府うりわたし量)

昭和48年(1973) 15450袋   7982万7000円
昭和49年(1974) 14203袋   9594万3000円
昭和50年(1975) 14417袋 1億1148万9000円


昭和48年(1973) 1452袋   318万1000円
昭和49年(1974)  953袋   267万5000円
昭和50年(1975) 1444袋   445万3000円

・ようさん

 嵐山町では、ふるくからようさんがさかんでした。山の斜面や平地を利用してくわ畑がたくさんあります。ようさんは、のうかにとっては大切な収入源で、かいこをかっている家もたくさんあります。
 かいこは普通、春、夏、初秋、晩秋と四回にわたってはきたてを行います。中には五回、六回とはきたてる家もあります。
 かいこは、はきたててから、やく一ヶ月でまゆをつくります。短い期間ですが、くわとり、くわくれなど大へんなしごと量です。おこあげが、おわってから、一週間くらいで完全なまゆをつくります。のうかでできたまゆは、ようさんのうきょうをつうじて製糸工場にまとめてうられます。しごとのあい間を利用しておこなう、くわ畑の手入も大切なしごとです。こうしたふだんの努力があって立派なまゆがつくられてくるのです。

表:まゆ代金の比較(昭和50年度(1975))
    まゆ代金 養蚕戸数 平均まゆ代金
    (100万円)
1.七郷  307   333   92万1000
2.八和田 275   363   75万7000
3.宮前  269   332   81万0000
4.菅谷  217   275   78万9000
5.福田  193   307   61万9000
6.野本  187   366   51万0000
7.高坂  169   225   75万1000
8.唐子  165   195   84万6000
9.亀井  106   176   60万2000
10.大岡  100   168   59万5000

・らくのう

 むかしは、おおくの家で、にわとりやぶたなどをかっていましたが、さい近では、それも専業化(せんぎょうか)してきました。
 乳牛をかっている家では毎日時間をきめてえさをあたえ、乳をしぼっています。えさは山の斜面(しゃめん)などを利用してつくった牧草や買ったえさを用いています。乳牛をたくさんかっている家では、さく乳器(にゅうき)を使って乳をしぼります。しぼって乳は、集乳所にはこばれ、さらに工場にあつめられて生乳として利用されるほかバターやチーズの原料(げんりょう)になります。

表:らく農
地区   成牛 育成  肉用   計
鎌形A  26  9      35頭
千手堂B 24  5      29頭
広野C  19  5      24頭
鎌形D  16  4      20頭
平沢E  10  7      17頭
鎌形F        280 280頭
志賀G         40  40頭

表:養豚
    繁殖用   肥育   計
鎌形A  40  250  290

表:養けい
      育すう*1 成けい
遠山A   290  2090
杉山B 10000 38500
吉田C  1200  1200
古里D     0  8981
遠山E  2000  7000
千手堂F 5100     0
(菅谷ようけい振興会)
300羽以上かっている人が、この外6軒もあります。

*1:育雛(いくすう)

・くだものや野菜つくり

 嵐山町でも、さいきんは、ビニールハウスを利用して、なす苗(なえ)やきゅうりの促成(そくせい)さいばいをしている家がふえてきました。しかし、まだ数が少なく、組織化(そしきか)されていません。
 しかし近くの滑川村や吉見町、川島町では、いちごや野菜のさいばいがさかんで、出荷(しゅっか)組合をつくって、東京や近くの市場に品ものを出しています。
 このほか、町には、しいたけをさいばいしている家が何軒(けん)かあります。品物は農協を通して出荷され、副業(ふくぎょう)としても大切な役わりをはたしています。

・観光産業(かんこうさんぎょう)

 町では、産業と観光を結びつけ、観光客の誘致(ゆうち)に力をいれて、つぎのような産業(さんぎょう)の発展に努力しています。いもほり、梨(なし)がり、栗(くり)ひろい、ぶどうがり。

・花つくり

 かん葉(よう)植物(しょくぶつ)や鉢物の花をつくっている家もあります。庭木用の植木をさいばいしている家もふえてきました。
 花木(かぼく)えんげい組合がつくられ苗木の育成やはんばい、盆栽(ぼんさい)などのはんばいも行っています。

嵐山町社会科研究部『わたしたちの町 らんざん』(1977年3月)
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