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第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌

第10節:嵐山町誌

三、村の生活(その二)

第7節:家号

家号と家系

 民俗学では屋号の起原について、それは同系統の家々を区別する必要から生れたのであるといっている。江戸時代の百姓は、名字を用いなかったので、一血統一名字の家々を区別するために、屋号が成立したということは事実に合わないように思う。然しそれより前の時代、又は別の階級の間にそのような習慣があって、この習慣を百姓も承けつぎ真似たのであるとすれば、この説に従ってよいわけである。そこで屋号が多数の同系統の家々を区別するためだとすれば、いずれの屋号も皆別々で同じであってはならない。これが原則である。村の家号もこの原則に従って同じグループに同じ家号はない。皆別々である。ところが面白いのは、もともと一つであったものを区別するために、呼び分けたものであるから、別々に呼んで見ても元は一つであったという痕跡がどうしても残っていることである。元来同一の家であるという性質を抹消しきることが出来ないでいるということである。どうしてそうなのかといえば、呼び分けさえ出来ればよいので、もともと一つであったという性格まで抹殺する必要はどこにもなかったからである。いやむしろ、もとの性格を漂(ただよ)わせていた方が、その家の理解に好都合でさえあったのである。これが本家、表、元屋敷、当住、新家、新宅、新屋敷、隠居など、元来の関係をズバリと言い現した家号が沢山あったり、そうハッキリとはいっていないが、「上の家」「下の家」「東の家」「西の家」「前の家」「後の家」といったように、元の関係を匂はせるような家号が支配的に多い理由である。だから家号は一応同一血統の家々を区別しながら却ってその関連を明らかにしている。それで私たちは家号を地図の上に記入してみると、村の中にこの家号でつながったいくつかの固りのあることを知るのである。この固りは大てい同じ名字を名乗っている。この固りは同一系統の家が中心となって出来ている。名字が同じだからといって、全部が同一血統だとはいい得ないが、村のように人の移動の少いところでは、大体同一名字、同血統と考えてよいと思う。家号でつながった家々のかたまりと、名字の同じかたまりが一致していれば、この二つはお互に他の裏付けとなって、そのかたまりが同族のかたまりであるという判断が強くなるわけである。
 少し話がそれるが、今名字だけに頼って、家の系統を考えたり、一族関係を判断したりすると、ひどい間違いをすることがある。明治三年(1870)、在名解禁の時、つまり平民全般に名字の使用が許された時、名字のなかった者もいたのである。百姓の中でも格式として名字帯刀を許されていたとか、表向には許されていなくても、私にこれを用いていたとか、名字はないが、本家にはこれがあり、本分家の関係が明白であったとかいう者は、すぐ名字を書いて役場に届けることが出来たが、その他の過半数のものは、もう名字を忘れてしまったり、ウロ覚えだったりして、ハッキリしない。それで日頃世話になっている家の名字を貰ったり、物知りの意見をきいたり、人の真似をしたり、ひとりぎめにしたりして名字を作ったりしたのだという。だから今の名字がどれもみな十分な考証と確信との下で、出自系統を表示しているとはいい得ないのである。だから名字だけにたよって、系統や本分を類推することは危険である。まあ然し、人の言動というものは、大てい世の中の常識に従うものであるから、同名字は同系統と考えてもよいのであるが、同名字だけでは同系統の全部を包摂(ほうせつ)することは出来ない。名字がちがうから、系統もちがうという排除作用はない。名字がちがっても、同系統の場合は多くあるのである。こんな時に家号が役立つのである。広野の場合は一例にすぎないが、本家は「杉田」で「上の家」分家は「石田」で「下の家」、一族なのでそれを分けるために、「上」と「下」とに区別したと、村人はいっている。私たちは家号のつながりをたどって、村の中に、同系統のグループをいくつか見出すことが出来るのである。家号はこのようなはたらきもしているのである。
 村の中の小部落が同一系統の家々だけで出来ている時は、右【上】のような呼称で各々他と区別出来るが、二つ以上の系統が集って一部落を作る場合には、この方式の分け方では間に合わなくなってくる。大低人の考えるところは同じようなことで、一部落の中に、本家や新宅がいくつもあり、上の家や下の家、東や西が沢山出来るおそれがある。これでは区別にならない。そこで同じ本家でも、元屋敷、表、当住などという別のいい方でその区別を示している。このことは又一方で、同じ呼び名が境を接して存在する場合、例えば東の家、西の家、上の家、下の家というような普通名詞の家号が隣り合う地域にある場合、その地区はそれぞれ別々のグループであることを示している。同じ呼び方で混乱がおこらないということは、それぞれ別のグループであるからである。図上に家号を並べれば、グループの境界線を引くことが出来るのである。

『嵐山町誌』(嵐山町発行、1968年8月21日)
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