第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌
三、村の生活(その二)
第5節:入会山
岐阜県の家ぶしんの話に、材木は入会山で取ってくると書いてあった。入会山とは何だろう。
遠山村村林
ここに遠山杉田角太郎氏所蔵の「差上申一札之事」と標記する証文を紹介しよう。
一 従前々郷境ニ相立置候字横吹ニ而 村林三ヶ所之内川筋通り之地所 境等聢(しか)と有之候所其元持分下々畑弐畝廿八歩之続キニ者有之候得共 右村林境木を伐取 川端迄伐下ヶ候ニ付 村役人上より心得違之旨申聞候得共一切不相用 村役人申条を等閑ニ相心得 村持之場所ヲ押領可致心底不得其意儀ニ候 尤我意ヲ以村林ヲ勝手ニ伐取候而茂宜敷次第御座候ハバ其段遂一可申述候
前書之報披見仕候処不調法之次第全心得違一言申訳無御座候 依之右村林為木代金壱両村方江差出し申候間 村御役人方右様御勘弁ヒ下村方一統江不始末相働候段御宥ヒ下候様奉願上候 然上者心底相改 我儘不法不仕重而急度相慎可申候 仍而組合連印為証一札差上候如件
当人 平兵衛
五人組 文右衛門
弘化五戌申三月 〃 直吉
〃 磯右衛門
村方
御役人中
判頭中横吹は大平山の西斜面槻川に沿った地域である。ここに遠山村の「村林」が三ヶ所あった。その中、川に寄った部分で、百姓平兵衛の畑と地続きになっている村林の境木を平兵衛が川端まで伐ってしまった。そこで村役人がその注意をしたが、一向に取り合わない。よって改めて文書をもって当人を詰問(きつもん)した。平兵衛は急に恐入って、代償として金壱両を村へ差出し、今後は絶対にこのような我儘不法はしないことを誓い、許しを請うて事件は決着したという筋である。
『嵐山町誌』(嵐山町発行、1968年8月21日)