第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌
三、村の生活(その二)
第4節:部屋の呼び方と使い方
住居の公共性
とも角も昔の家屋は、公共的な性格が強かった。このことからみても、家屋建築の場合に近隣、村人が、その資材や労力を提供し合った理由がわかるのである。村人たちは、個人の私宅をたてるのではあるが、同時に村の共同の建物を造るという意識も半分位はあったのであろう。自分の家も又、こうして建てて貰うのだと考えていた。こうして建てて貰っておかなければ、寄合いやお日待の時、お互に困ると考えた。ましてそれが、名主、組頭等村役人の家である場合は、今の役場庁舎の建築と異らない。村役人の家は、役場の「窓口」であり「事務室」であり「会議室」であり、更に「講習会場」でもあったからである。
『嵐山町誌』(嵐山町発行、1968年8月21日)