第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌
三、村の生活(その二)
第4節:部屋の呼び方と使い方
へや
へやの語源は字典には「家の中に、何か特定の用にあてるために、分け仕切ってある室のことで隔屋の意味」であると述べてある。へやは元来特別の目的のために建造されたものらしい。隔屋と書くとすれば或ははじめは別棟であったのかもしれない。これが家の中に入っても他の室とは区別されてへやという名前をもちつづけたのであろう。他の三室の仕切りは、板戸や、襖や、障子を用いてあるが、へやと茶の間、でいとの境は壁で仕切った部分がある。全部ではないが、仕切の半分とか、三尺位とか、壁の部分が残っている家がある。これは隔屋が別棟であった名残りでもあろうし、それにも増してこの室が他と隔絶した独特の目的のために準備されたものであることを示している。
『嵐山町誌』(嵐山町発行、1968年8月21日)
その特別の目的とは何かといえば、この地方では結局寝室ということになる。へやの使い方で最も固定しているのは寝室である。他の室も勿論寝室として使われている。然し家人の増減によって、これらの室には異動がある。家族の少い家では、でいやざしきは空室になる場合もある。然しへやだけは変らない。家族の多少に拘らない。一年中一貫して寝室として使われるのである。へやは寝室である。一年中寝室として使われるということは、一年中この家に住む人の寝室という意味である。一年中住む人は主人である。へやはその家の主人夫婦の寝室なのである。その家の当主の寝室である。代がかわれば老人や弟妹や孫たちは、ざしきや、でいを寝室にする。然しこれらの人達はやがて成長して、家を巣立ち、老人は天寿を終えて他界に去る。ざしきやでいの住人は流動的である。然しへやは一貫して当主の寝室である。固定している。ここは又、茶の間の私的性格を更に一層深めたものである。裏側の奥に位置しているこの部屋は、昼もうす暗く、何か他人の覗(うかが)うことを許さないといった特異の雰囲気をもっている。茶の間までは家族以外の人達も時々出入する。然しこのへやに限って、第三者が入ってくるという用事は全くない。日常の生活ではそんな必要は全然起ってこないのである。このように他からうかがうことの出来ない私室をもつということは、公私の別を明らかにして、表側の二室はいつでも、公の用に準備しておくことが出来るという基盤をなすものである。これは茶の間のところでのべたのと同じである。
そこで私たちは茶の間のだんらんや憩(いこい)、又、お互に他人の私生活を尊重して犯すことのないへやの生活が村の共同体の中に立派に存在し、その個人的の生活が公共の生活に結び、表裏密着して、村の共同生活を推進していたと考えたい。家屋の間取りとその名称と使い方から見た場合、右【上】のような結論に達するのである。