第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌
比企郡寺院明細帳
埼玉縣管下武蔵国比企郡千手堂村字谷
同縣同国同郡遠山村遠山寺末
曹洞宗 徹通派*1千手院(せんじゅいん)
*1:徹通派(てっつうは)…曹洞宗大本山永平寺三世・大乗寺開山徹通義介(てっつうぎかい)(1219ー1309)の教えを受け継ぎ広めた人たち。徹通義介の法を継いだ瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)(1268-1325)が、能登に永光寺や総持寺などを開創して弟子を育て、その弟子達により曹洞宗の教勢は全国的に拡張された。
一、本尊 千手観世音(せんじゅかんぜおん)
一、由緒
千手観音人皇六拾三代村上天皇天暦(てんりゃく)三年(949)千手観音堂御造立アラセラレ應和(おうわ)二年(962)武蔵国比企郡ニ於テ地一区ヲ併賜フ。故ニ村ヲ千手堂ト名ケ寺ヲ千手院ト号シ山ヲ普門ト号ス。堂宇創立一年三月ニシテ再成ス。而後(じご)文治(1185-1190年)建久(1190-1199年)ノ頃兵火ニ係リ諸堂焼失ス。後数代ヲ経テ天文(1532-1555年)中幻室和尚ニ至リ再ヒ造営ス。豈図(あにはから)ンヤ享保(きょうほう)元年(1716)又焼亡ス。然(しかる)ト雖(いえ)トモ御龍牌観音像而巳(のみ)現在セリ。
維新後(いしんご)除地上知。又明治九年(1876)三月諸堂焼失(しょうしつ)ス。檀徒合力(ごうりょく)シテ當時再建ス。
昭和十七年 月 日 規則ヲ認可ス一、本堂 間口七間 奥行六間
一、境内坪数 八百拾三坪 官有地第四種
一、境内佛堂 壱宇(いちう) 昭和廿三年四月廿一日
八八七坪六四
観音堂
本堂 千手観世音 ○決昭和二十四年十月十八日
八八七坪六合四勺
由緒 不詳
建物 間口二間 奥行三間一、境外所有地
田(た)反別(たんべつ) 六畝拾四歩 千手堂村字明神前
地價(ちか) 金貮拾貮円貮拾六銭貮厘
田反別 六畝拾九歩 同村字同所
地價 金貮拾円五拾六銭三厘
田反別 五畝貮拾五歩 同村字沼下
地價 金貮拾六円拾壱銭七厘
田反別 壱反四畝七歩 同村字谷
地價 金五拾円三円八拾八銭七厘
田反別 壱反六畝拾八歩 同村字同所
地價 金拾貮円六拾九銭九厘
林反別 壱反五畝七歩 千手堂村字原
地價 金壱円五拾貮銭三厘
林反別 貮畝廿八歩 同村字中原
地價 金五拾八銭七厘
林反別 三反六畝九歩 同村字明神前
地價 金五円四拾四銭五厘
林反別 壱反四畝四歩 同村字小千代山
地價 金壱円四拾壱銭三厘
林反別 四畝壱歩 同村字谷
地價 金八拾銭七厘
林反別 壱反七畝拾四歩 同村字同所
地價 金貮円六拾貮銭
林反別 四畝拾五歩 同村字同所
地價 金九拾銭
林反別 貮反七畝廿二歩 同村字同所
地價 金四円拾六銭
山林反別 九畝九歩 同村字比丘尼山
地價 金九拾三銭一、檀徒(だんと) 百拾人
一、管轄廰(かんかつちょう)迄 拾壱里廿五町
以上山林 壱反壱畝拾歩 菅谷村大字千手堂字明神前
地價 金壱円拾参銭
山林 壱町壱反四畝九歩 同村同大字字谷
地價 金拾壱円四拾参銭「昭和38年度文書 埼玉県学事課 比企郡寺院明細帳(一)」