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第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌

第9節:寺院・神社・堂庵明細帳

比企郡神社明細帳

埼玉縣武蔵國比企郡七郷村大字杉山字清明
 村社

  八宮神社(やみやじんじゃ)

一、祭神(さいじん)
 建速須佐之男命*1
 大己貴命*2
 稲田比賣命*3

*1:建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)…須佐乃袁尊。日本神話の神。伊奘諾尊(いざなぎのみこと)と伊奘冉尊(いざなみのみこと)の子。天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟。
*2:大己貴命(おおなむちのみこと)…大穴牟遅神(おおあなむぢのかみ)・大汝神(おほなむぢのかみ)・大穴持命(おほあなもちのみこと)。大国主命(おおくにぬしのみこと)のこと。
*3:稲田比賣命(いなだひめのみこと)…奇稲田姫(くしいなだひめ)・櫛名田比売(くしなだひめ)。八岐大蛇(やまたのおろち)退治神話にみえる神。八岐大蛇にのみこまれようとするところを、素戔嗚尊(すさのおのみこと)にたすけられて結婚する。6世の孫に大己貴命(おおなむちのみこと)(大国主神)がある。

一、由緒
往古*1勧請*2四十五代聖武帝(しょうむてい)ノ御宇*3(724-749)ト申(もうす)。其后(そのご)六十一代朱雀院(すざくいん)ノ御宇天慶(てんぎょう)二年(939)二月平将門(たいらのまさかど)関東ニ在リテ謀反ヲ起シ朝意ニ叛キ*4、此時六孫王経基公*5当村ノ旧城ニ御出陣在(あり)テ、藤原秀郷(ふじわらのひでさと)・平貞盛(たいらのさだもり)ヲシテ當國ノ精兵(せいへい)ヲ募(つの)リ将門(まさかど)ヲ討ス。時陣中疫癘*6流行シ斃者*7不少(すくなからず)、依(よっ)テ社頭(しゃとう)ニ於テ朝敵征討(ちょうてきせいとう)疫癘消除(えきれいしょうじょ)ノタメ御意、頗(すこぶ)ル有之(これあり)靈驗(れいけん)著(いちじるし)ク、反賊(はんぞく)忽(たちま)チ伏誅*8シ、疫(えき)頓(とみ)ニ愈(いえる)。依テ経基王再ニ當社(とうしゃ)ヲ修繕シ四方四種ノ村落ニ祀テ八宮神社ト号シ、法施トシテ仁王會六万部御修行有、之今ニ六万塚・六万坂ト申所アリ、城跡モ僅ニ存ス。此言詳(つまびらか)ナラスト雖(いえど)モ傳(つたえ)テ有之今ニ春秋両度祭典ヲ成シ、皇國安全ノ祠祝ヲ奉ス。依テ前摘*9ヲ記載ス。
明治四十一年(1908)三月三日上地林(あげちりん)四畝(せ)十三歩(ぶ)境内編入許可

*1:往古(おうこ)…おおむかし。
*2:勧請(かんじょう)…神仏の分身、分霊を他の地に移してまつること。
*3:御宇(ぎょう)…天皇の治める時代。
*4:平安時代、勢力をました武士団の一つ平将門が939年、反乱を起し、常陸(現・茨城県)・下野(現・栃木県)・上野(現・群馬県)の国府を攻め落とし自ら新皇と称したが、翌年平貞盛、藤原秀郷らに討たれた平将門の乱。
*5:六孫王経基公(ろくそんのうつねもとこう)…源経基(みなもとのつねもと)(?-961)。平安時代中期の武将。父が清和天皇の第六皇子貞純親王であったので六孫王と号す。
*6:疫癘(えきれい)…悪性の流行病。疫病。
*7:斃者(へいしゃ)…病死者。
*8:伏誅(ふくちゅう)…罪人などが処罰にしたがうこと。
*9:摘(てき)…要点。

一、社殿 本殿
一、境内 二百三十七坪
一、氏子 五拾貮戸

「昭和38年度文書 埼玉県学事課 比企郡神社明細帳」

八宮神社(2005年10月16日撮影)

八宮神社|写真1

八宮神社|写真2

八宮神社|写真3

八宮神社|写真4鳥居の社額「八宮大明神」

八宮神社境内図
八宮神社境内図『埼玉の神社 大里・北葛飾・比企』(埼玉県神社庁、1992年)1441頁

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