第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌
遠山志
遠山ハ宿部菅谷ヨリ平沢千手堂ヲ間ニ置キ、一小隧道*1ヲ貫キ、超エテ本村ノ西偏*2ニ懸在*3シ、其右ヨリ後ニ折廻ハシ立テル屏風的連峯、頂*4ニ據リテ乾方*5小川町ノ下里區ニ境シ、東顧セバ則(すなわ)チ上記ノ隧道穹巓*6ニ離、坎*7線ニ長ク横臥セル馬背状ノ一弧山脈ニ限ラレ、幹區トノ距程*8殆ンド一里ニ亘ル、而シテ秩嶺*9ヲ出デ下里ヲ過ギ、西ヨリ東ニ涒下*10セル槻川ノ清流ヲ前面ノ泉水トモ看做(みな)ス、平崖脩路*11ノ幾(ほと)ント半里許(ばかり)ニモナンくトシテ、左右ニ廣リ、後辺ニ狹ク点在逸居*12セルノ當部落ハ、斯(この)川下流ノ「小野馬渓」*13ノ峽近ヲ徒渉*14シテ、直チニ吾部落ト同観ノ情態*15ナル玉川村田黒區ノ小倉部落ニ通ジ、通径ノ西嶺ニシテ、該川ノ南巓ニ一處天嶮*16ノ城蹟*17在リ、現時ハ川南タル玉川村區ニ隷ストイヘドモ、往古足利幕末戦國時代ニハ廣ク此地方ヲ領有シ、而(しか)モ当地ヲ冠称*18セル遠山右衛門大夫藤原光景ノ在城タリ、旦尚當區ノ旧村名ヲ稱號トセル遠山寺ハ今現ニ區内ニ存在シテ、遠山氏ノ過去帳ナルモノ文政天保ノ交*19マデハ正ニ蔵安(ぞうあん)シタリトイフ、夫(それ)ニ據(よ)レバ「當寺開基無外宗関居士」天正(てんしょう)八年(1580)三月廿三日光景父政景也」及ビ「開基桃雲宗見大居士」天正(てんしょう)十五年(1587)五月廿九日遠山右衛門大夫藤原光景云々、方今*20モ此写置ハアリトゾ、當山ハ上州元緑野郡御嶽村曹洞宗永源寺末院ニテ長谷山ト號シ慶安二年(1649)御朱印地十石ヲ賜ヘリ開山漱怒全芳永正(えいしょう)十五年(1518)十二月十五日宣寂又梵鐘ハ當山十一世崕*21峻和尚ガ永禄(えいろく)十一年(1568)中再鋳セシモ其前鐘ハ遠山光景家臣杉田吉兼(該區杉田ヲ氏トセル旧家アリ其祖先ナルベシ)トイヒシ人大檀那トシテ造献セシモノナルガ後年廢壊ニ至リシヨリ右和尚再造シタル由後鐘銘ニ彫載シ在ルモノナリ云々当區ハ戸数二十九ナリ
稲村坦元先生原稿「菅谷村史」
*1:隧道(ずいどう)…地中をくりぬいて造った道
*2:西偏(せいへん)…西にかたよる
*3:懸在(けんざい)…はるかに遠く存在する
*4:頂(いただき)…山頂
*5:乾(いぬい)…北西の方角
*6:穹巓(きゅうてん)…おおぞら
*7:坎(かん)…正北の方角
*8:距程(きょてい)…隔たりの程度
*9:秩嶺(ちつれい)……秩父の山々
*10:涒下(とんげ)…はきだしくだる
*11:脩路(しゅうろ)…長い道筋
*12:逸居(いっきょ)…わがままにくらす
*13:大分県の景勝地「耶馬溪」になぞらえて命名したものか
*14:徒渉(としょう)…徒歩で川をわたる
*15:情態(じょうたい)…ようす
*16:天嶮(てんけん)…自然の要害
*17:城蹟(じょうせき)…しろあと
*18:冠称(かんしょう)…頭につけてなのる
*19:交(まじわり)…であい
*20:方今(ほうこん)…ただ今
*21:山偏に圭