第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌
志賀志
志賀ハ二區ニ分テリ。即チ第一區川嶋第二區志賀是ナリ。
稲村坦元先生原稿「菅谷村史」
先ヅ川嶋ハ菅谷區ノ東北僅々*1数町ニ密通シテ、東ヨリ南ハ宮前村ニ接シ、北ハ市廼川(いちのかわ)ヲ介(かい)シテ七郷村ニ對シ、西ハ則チ第二區志賀ナリ。
本川嶋ハ昔七郷村中ノ旧一村ニシテ、今大字ヲ称セル廣野部落飛地(とびち)ノ一支村タリシモノ、維新*2後町村制實施ノ際*3志賀村ニ合村シ、其後共ニ本村即チ當菅谷村内ノ一大大字中ニ在リ。戸数約三十許(ばかり)ナルモ由来都鄙*4ニ鳴ル所ノ例ノ殷賑*5ナル鬼鎮神社ノ所在地タルガ故ニ、人營世業*6自ラ比較的餘足ヲ享持*7シ宛然*8一大字風ノ實質ヲ有セリ。是ニ於テカ本部志賀ト温情靄々(あいあい)裡中東西雙區ニ協立シ、四圍ノ交際ニ應接スルガ上ニ些(いささか)ノ遺憾ナク、以テ村政ノ便宜圓*9ナリ。
又志賀ハ、名ハ則(すなわ)チ第二區タルモ實ハ則チ本大字ノ大部ニシテ、其戸数モ一百有餘、是亦寛文*10以前ハ菅谷旧村時代西北境上ノ一悪處ニ属セシモノ。而モ当處ハ往古江都*11ヨリ本州北辺ヲ経テ上信州方面ニ到ルノ巨往還*12、即チ今時ノ國道タル衝*13ニ折セル所カラ、次第ニ然ルベキ宿並ヲ成シ、人俗モ優勢ニ繁殖(はんしょく)シ、菅谷ト共ニ本支相頼リテ人馬ノ次立*14ヲモ為スニ至リ、遂ニ志賀村トシテ明治ノ現代に及ビ星霜*15良ヤ久シカリシ。今日復々(たまたま)早ク既ニ便宜上ニ向ツテ歸納(きのう)シタルノ観有リ。志賀ノ當區ハ菅谷區ノ西北ニ位シ東数町ニシテ提携(ていけい)隣保*16ノ川嶋區ニ接着シ、北ハ市廼川ヲ隔テヽ七郷村ニ臨ミ、乾*17隅ハ八和田村ニ、正西ハ小川町ニ交叉連堺ス。此區ノ西端小川町界ヲ壓スル所ニ一孤峯(こほう)在リ。約二百五十高地*18タリ。頂上ニ数百歳經(へ)シ喬松*19巍立*20ス。嘗テ*21元川越藩主八郎麿侯*22城閣*23ヨリ遥望(ようぼう)シテ奇樹ト為シ、一日騎登*24親観シ、奉字松*25ト命名セラレタリ。幹枝(かんし)奉字ノ如シ。
*1:僅々(きんきん)わずか
*2:維新(いしん)…1868年
*3:1889年
*4:都鄙(とひ)…都と田舎
*5:殷賑(いんしん)…さかんでにぎやかなこと
*6:世業(せぎょう)…代々受け継いできた生業
*7:享持(きょうじ)…権益などをうけもつこと
*8:宛然(えんぜん)…さながら
*9:圓(えん)…かどたたぬ
*10:寛文(かんぶん)…1661年〜1679年
*11:江都(こうと)…江戸
*12:往還(おうかん)…街道
*13:衝(しょう)…要所
*14:次立(つぎたて)…継立、人馬を乗り換える事
*15:星霜(せいそう)…歳月
*16:隣保(りんぽ)…隣近所の人々
*17:乾(いぬい)…北西
*18:標高約250mの山
*19:喬松(きょうしょう)…高くそびえる松
*20:巍立(きりつ)…高く大きく立つ樣
*21:嘗(かっ)テ…昔
*22:水戸徳川斉昭公の八男、川越藩主松平典則(のりつね)の養子となった第六代川越藩主松平直侯(なおよし・1839-1862)
*23:城閣(じょうかく)…城の物見
*24:騎登(きとう)…馬に乗って登ること
*25:奉字松(ほうじまつ)…一本松の形が「奉」の字に似ていたことから名づけた。