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第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌

第8節:稲村坦元先生原稿「菅谷村史」

菅谷志*1

宿形菅谷區ノ上古*2ノ濫觴*3沿革等ハ確(しか)ト徴(ちょう)スルモノ無シト雖(いえ)トモ、中古*4治承(1177-1181)元久(1204-1206)ノ事端*5乃至(ないし)長享(ちょうきょう)(1487-1489)延徳(えんとく)(1489-1492)ノ菅谷原合戦*6等ノ事歴(じれき)以後ノ概要(がいよう)ヲ窺(うかが)フテ稍(や)ヤ其舊時(きゅうじ)ヲ(ヲ)想知(そうち)スルノミ。吉田東伍*7ノ地名辞書ニ今菅谷村ト云ヒ大蔵将軍澤鎌形平澤志賀等ヲモ併ス(史子*8曰現今ハ千手堂遠山根岸モ入レリ)。松山ノ西二里此ハ中古鎌倉及ビ武蔵府*9ナドヨリ上州*10信州*11ヘ向フ通路ニアタリ、今モ小前田児玉ノ方ヘ通ズル一路之ニカヽレリ。古書或ハ須賀谷(すがや)ニ作リ正保圖*12ニ須賀谷トス。新記ニ云フ菅谷ハ江戸ヨリ十五里古ハ須賀谷ト書キシヲ假借*13シテ今ハ斯(かく)ク記セリ。江戸ヨリ秩父郡或ハ中山道ヘ出ル脇往還*14ニシテ人馬継立ヲナセリ。古城蹟ヲ存セリ、凡三町西方ノ地ニシテ南ノ一方ハ都幾川ヲモテ要害(ようがい)トシ其餘ノ三方ハ空堀*15アリテ處々ニ堤ノ形残レリ。其内ハ總(すべ)テ陸田*16トナリタレド、今モ本丸二丸三丸等ノ名アリ。梅花無盡蔵*17ニ「長享戊申(ちょうきょうぼしん)(1488)八月十七日入須賀谷之北平澤山問太田源六資康*18之軍營」云云トアリ今モ当處ヨリ上州ニ至ル。小川鉢形ト人馬ヲ次(つぎ)テ順路トス。又此(これ)ヲ畠山重忠居城ノ地トモ云ヒ、後岩松遠江守義純一旦畠山ガ名跡*19ヲ續(つ)ギ爰(ここ)ニ住セシナド云ヘリ。東鑑*20ニ元久二年(1205)六月ノ條ニ「重忠十九日小衾(おぶすま)郡ヲ出デ菅谷ノ館ヨリ此澤ニ着セルナリ」云云(註原曰小衾ハ即チ男衾(おぶすま)ニシテ其本文「十九日出小衾郡菅谷舘今着此澤也」トアルモノ是ナリ)。往時鎌倉ノ猶(なお)盛大ナルヤ相州*21ヨリ上州信州ニ往来スルモノ路ヲ武州*22ノ西偏(せいへん)ニ取リ府中ヨリ入間川ニ出テ比企郡男衾郡ノ山野ヲ経由シタリ

稲村坦元先生原稿「菅谷村史」

*1:志(し)…誌に同じ。記録。
*2:上古(じょうこ)…6、7世紀頃。大和政権の時代。
*3:濫觴(らんしょう)…物事の始まり。
*4:中古(ちゅうこ)…平安時代を中心にした時期。
*5:事端(じたん)…騒動のたね。
*6:長享二年(1488)六月十八日扇谷上杉(家老長尾氏)と山内上杉(家老太田氏)が須賀谷の原に激突した戦い、使者七百余名馬数百頭が斃れたといわれる激戦であった。
*7:吉田東伍(よしだとうご)…1684-1918。新潟生まれ。歴史地理学者。早大教授。『大日本地名辞書』全11巻を著す。
*8:史子(しし)…歴史を記録し編さんする者。
*9:武蔵府(むさしふ)…武蔵国の国府の置かれた所。現東京都府中市。
*10:上野国。現群馬県。
*11:信濃国。現長野県。
*12:正保圖(しょうほうず)…正保年間(1645-1648)に諸国の大名に命じて作られた地図。
*13:假借(かしゃく)…本来の意味は違う同音の他の漢字を借りて当てること。
*14:脇往還(わきおうかん)…本街道以外の脇街道。
*15:空堀(からほり)…水のない堀
*16:陸田(りくでん)…はたけ。
*17:梅花無盡蔵(ばいかむじんぞう)…室町中期の禅僧万里集九の詩集、各作品の人名・地名・件名等に自註を加えており、歴史史料として有益な著書。書名は万里の庵室の名。
*18:太田道潅の子。
*19:名跡(みょうせき)…跡目、家督。
*20:東鑑(あずまかがみ)…吾妻鑑。鎌倉幕府の事跡を変体漢文で日記体に編述した史書。
*21:相模国。現神奈川県。
*22:武蔵国。現東京都・埼玉県。

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