ページの先頭

第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌

第7節:七郷村郷土研究(抄)

第一編 緒論

四、郷土の範圍

 郷土の範圍は觀る人の立脚地によって異なってゐる。現世を假りの寓居と云ひ来世をこそ永遠安楽の郷土と觀ずる宗教家の郷土觀もこれ亦来世は一種の郷土かも知れん。外國に於ける邦人はまた帝國を郷土と思ふてゐる。亦関西に居る関東人が互いに寄り集って語る事のあるのはこれ関東と郷土としてゐるからであるし、東京に於ける同國人のみにて開かるる懇親會はこれ亦出生せる國・府縣を郷土として居るからである。また県立中等程度の學校生徒が同郡出身者を以て情誼を融和する為の邂逅も亦其の郡を郷土として居る考からである。然るに其の集まる所の多数は常に郷土に於て一面識もなきものであるが、只に自己の記憶に存する故郷の訛語があるからだ。亦郡中に高等小學校があって其の児童は各村より通學するとすれば各村より集る子供は自己の村を郷土として居る。また吾が學友團の設けがある各字の児童を一支部として自治的に活動さして居る學校に於ての彼等は其の出生せる字を郷土として居るらしい。また日夕父母の滕下を離れざる幼児の郷土は其の居室、其の房厨其の庭園であらう。
 単に郷土といふと斯の如くに範囲が一定して居ないけれども而し基礎的感念を養ふ上には如何にしても郷土を限定せねばならぬ。そこで郷土とは何処をいふか、町村を以て或は郡市或は府縣或は地方(関東とか関西とか)を以て郷土とする説即ち行政區域を以て郷土とすると云ふ説には余は賛同せぬ。若し行政區域に拘泥して郷土を定めたならば其の範囲内の事柄丈は詳しく注意するが其の範囲外の事には假令適當材料があっても郷土外として打ち捨ててしまはねばならぬ。其の上に行政上の郷土と経済上の郷土とは全然一致するものでもないと思ふ。結局行政上の區域を以て郷土とするときは甚だ偏した事柄を以て郷土科の全般のやうに狭く解釋して以て郷土直感の任務を盡したるものの如く誤解する事になる。
 基礎感念養成は多数児童の経験直感をその標準とするが根本である事は茲に云ふ迠もない事である。随って第一に學校を中心とする事になる。米国の或る學者は「學校を中心として半径は五里の円周内を郷土とす」と述べてある。亦佐々木吉三郎先生も「學校を中心とせる半径二里の範囲内」を郷土として以前の等距離説に賛同して居つたやうだ。而し余は之は面白くないと信ずる。何となれば各教科目が要求する基礎的材料の存否に依って其の範囲を限定せねばなりますまい。そこで各教科目の多方面よりの要求材料を網羅する地方であったならば必ずしも数里に限るにも及ばず、更に狭めても宜しからうし、若し其の材料が偏して居る地方では必ずしも数里と限らず他の事情の許す限り出来得るだけ廣く修學旅行でもして不足を補ふ譯にしなければならぬ。近来汽車汽船等の交通機関が軽便に利用せらるる世の中になったに就いては一日の行程は頗る廣くなった譯である。そこで直感範囲は必ずしも距離に正比例するものではない。他の金銭上、管理上の事情さへ差支なくば一日の直觀範圍は数十里に擴張する事が出来る。畢意徒歩時代の考を以て一日程を数里と限るのは理由の存しない事になる。そこで余は東京高等師範学校付属小学校にて研究せる結果確定したる案即ち「學校を中心とし一日に往復し得る地域を郷土とす勿論汽車汽船電車等の交通機関を利用するも支障なし」を以て適當なる郷土の範圍と思ふ。

七郷尋常高等小学校(板倉禎吉編)『郷土研究』(嵐山町立七郷小学校蔵)
このページの先頭へ ▲