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第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌

第2節:新編武蔵風土記稿

比企郡 (九)

勝田村(比企郡菅谷村大字勝田)*1

 勝田村(かちだむら)ハ松山領ニ属シ江戸ヨリ行程(こうてい)前村*2ニ異(こと)ナラズ*3。按(あんず)ルニ『東鑑*4』建久四年(1193)二月十日ノ条(じょう)ニ、毛呂太郎季綱*5勧賞*6トシテ武蔵国泉・勝田ノ地ヲ賜フヨシ見エタリ。コノ勝田ト云フハ即チ当村ノコトニテ、泉ハ隣村和泉村(いずみ)ナルベシ。サレバ古クヨリ開ケシ村ナルコト知ラル。東ハ伊子村ニ隣リ、南ハ広野村ニテ、西ハ吉田村ニ錯(まじわ)リ、北ハ和泉村に境(さかい)セリ。東西十八丁南北二十五丁許(ばか)リ、民戸四十六。コノ村正保(しょうほう)ノ頃(1644-1648)ノモノ*7ニハ岡部外記*8ガ知行(ちぎょう)タリシコト見エタリ。ソノ後モ子孫続キテ知行セシガ、安永(あんえい)元年(1772)岡部徳五郎罪アリテ没収*9セラレ御料所(ごりょうしょ)トナリ、同キ九年猪子左大夫(いのこさだゆう)ニ賜リテ今モ其子孫栄太郎ノ知ル所*10ナリ。

*1:現・埼玉県比企郡嵐山町大字勝田
*2:伊子村(いこむら)。現・滑川町大字伊古。
*3:江戸より16里。
*4:東鑑(あずまかがみ)…吾妻鏡(あづまかがみ)。鎌倉幕府編纂(へんさん)の歴史書。1180年(治承4)源頼政(みなもとのよりまさ)の挙兵から,第六代将軍宗尊親王(むねたかしんのう)が解任されて1266年(文永3)に京都に帰るまでを記述。
*5:毛呂太郎季綱(もろたろうすえつな)…季綱の父毛呂太郎季光(すえみつ)は入間郡毛呂郷(もろごう)の在地領主で、源頼朝に仕えて人柄と力量で信頼され、源氏一門に準じる待遇を受けて豊後守(ぶんごのかみ)に任じられ、毛呂郷の地頭職を安堵されたという。季光の子季綱も頼朝に仕えていた。
*6:勧賞(かんしょう)…ほうび。
*7:正保田園簿。
*8:岡部外記(おかべげき)…今川義元(よしもと)の家臣川村善右衛門(かわむらぜんえもん)の妻は、善右衛門の死後に江戸幕府の後の二代将軍秀忠の誕生で、その乳母として召しだされ、大姥(おおうば)と呼ばれて奉公した。大姥の息子の主水(もんど)は家康に仕え、家康の指示で大姥の旧姓を継いで岡部主水(おかべもんど)を名乗ることになった。岡部外記は主水の孫で岡部家の三代目、将軍家光の時代に小姓組に組み入れられている。
*9:岡部家は廃絶(はいぜつ)、岡部家八代目徳五郎は遠山(とおやま)の遠山寺(えんざんじ)に入門、27歳で死亡。
*10:知行所。

高札場*1 村ノ西ニアリ
 小名(こな) 高倉 新井 天神山
淡洲明神社(あわすみょうじんじゃ) 村ノ鎮守(ちんじゅ)ナリ。
天神社*2
鹿島社*3
稲荷社*4 以上ノ四宇*5ハ百姓持(ひゃくしょうもち)
正福寺(しょうふくじ) 新義真言宗*6、男衾郡(おぶすまぐん)富田村不動寺(ふどうじ)末、宝蔵山(ほうぞうさん)ト号(ごう)ス。開山(かいざん)祐尊(ゆうそん)、万治(まんじ)元年(1658)九月十六日示寂*7ス。本尊(ほんぞん)弥陀*8ヲ安ス*9

*1:高札場(こうさつば)…掟などを書いて、人目を引く所に掲げた立て札の場所。
*2:天神社(てんじんじゃ)…菅原道真(すがわらのみちざね)を祀る。学業成就、学問の神として崇拝されている。
*3:鹿島社(かしましゃ)…武勇の神、国家鎮護(こっかちんご)の神として武甕槌神(たけみかづちのかみ)を祀る。
*4:稲荷社(いなりしゃ)…五穀豊穣、商売繁盛の神として信仰された。
*5:四宇(よんう)…4社。
*6:新義真言宗(しんぎしんごんしゅう)…空海によって開かれた真言宗の一派。
*7:示寂(じじゃく)…死去。
*8:弥陀(みだ)…阿弥陀の略。
*9:安(あん)ス…安置する。

『新編武蔵風土記稿第16巻』「比企郡(九)」 新編武蔵風土記稿刊行会, 1957(昭和32)1月15日
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