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第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌

第2節:新編武蔵風土記稿

比企郡 (九)

水房村枝郷(みずふさむらえだごう)
太郎丸村(比企郡菅谷村大字太郎丸)*1

 太郎丸村(たろうまるむら)ハ水房村ノ西ニ続キテ江戸ヨリノ行程(こうてい)ハ本村ニ同ジ*2、水房庄(みずふさしょう)松山領(まつやまりょう)ト唱(とな)フ。古ハ水房村*3ノ内ナリシガ、寛文(かんぶん)五年(1665)検地*4アリシヨリ別レテ枝郷*5トナレリ。此(この)検地ノ時村民太郎丸トイヘルモノ案内セシヨシ『水帳*6』ニシルシタレバ、当村ハ此太郎丸ガ開墾(かいこん)セシ地ニテ村名トハナレルニヤ。家数二十余、東ハ中尾*7・水房ノ二村ニ続キ、南ハ市ノ川(いちのかわ)ヲ界(くぎり)テ広野村ノ飛地(とびち)ニ隣(とな)リ、西ハ志賀村(しがむら)及ビ杉山村ニ接(せっせ)リ、北ハ広野・伊子*8ノ二村ニ及ベリ。東西二町許(ばか)リ南北五町(ごちょう)余り、水利不便ナレバ天水(てんすい)ヲ仰(あお)イデ耕(こう)ヲナセド、又水溢ノ患*9アリ。爰(ここ)モ本村*10ト同ク古ハ岡部氏ノ知ルトコロ*11ナリシガ、安永(あんえい)元年(1772)収公*12セラレ、同ク九年猪子左太夫(いのこさだゆう)ニ賜(たまわ)リ、今子孫(しそん)栄太郎ガ知ル所ナリ。

*1:現・埼玉県比企郡嵐山町大字太郎丸
*2:水房村は江戸より16里。1里は約3.927キロメートル。
*3:現在は滑川町大字水房。
*4:検地(けんち)…支配地の田畑の面積や生産高を調査すること。
*5:枝郷(えだごう)…開発によって新しい村が作られたり、村高を分割して新村をつくったりしたとき枝郷とか枝村といった。
*6:水帳(みずちょう)…検地帳(けんちちょう)のこと。
*7:中尾(なかお)…現在は滑川町大字中尾。
*8:伊子(いこ)…1868年(明治元年)に伊古村と変更した。
*9:水溢ノ患(すいいつのわずらい)…水害などのこと。
*10:水房村。
*11:知行所。
*12:収公(しゅうこう)…幕府に回収。

高札場*1 村ノ西ニアリ。
市ノ川 村ノ南堺(みなみさかい)ヲ流ル、川幅三間*2
淡洲明神社(あわすみょうじんじゃ) 村ノ産神*3ナリ、村持(むらもち)。
観音堂*4 村持。

*1:高札場(こうさつば)…禁令や法令を板書し、庶民に周知するよう掲示した場所。
*2:間(けん)…1間は約1.8メートル。
*3:産神(うぶすなかみ)…守り神、鎮守の神。
*4:観音堂(かんのんどう)…観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)の像を祀(まつ)っているお堂。

『新編武蔵風土記稿第16巻』「比企郡(九)」 新編武蔵風土記稿刊行会, 1957(昭和32)1月15日
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