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第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌

第2節:新編武蔵風土記稿

比企郡 (九)

千手堂村(比企郡菅谷村大字千手堂)*1

 千手堂村(せんじゅどうむら)ハ江戸ヨリ行程(こうてい)拾六里、郷名前村*2ニ同ジ。領(りょう)ハ松山ニ属セリ。村名ハ千手観音ノ堂アリシヨリ起リシト云フ。此堂今ハ一院トナリ、民戸四十余。東ハ菅谷村(すがやむら)ニ続キ、南ハ槻川(つきがわ)ヲ限リテ鎌形村(かまがたむら)ニ隣リ、西ハ遠山村(とおやまむら)ニテ、北ハ平沢村(ひらさわむら)ニ境ヘリ。東西五町*3南北四丁*4許(ばか)リ。当所ハ古ヘヨリ御料所*5ナリシガイツノ頃ニヤ大岡越前守*6ニ賜リ、宝暦(ほうれき)元年(1751)所替(ところがえ)アリテ御料所ニ属シ、同十三年(1763)清水殿ノ領知トナリ、寛政(かんせい)九年(1797)上リテ御料所ニ復セリ。検地*7ハ寛文(かんぶん)八年(1668)坪井次右衛門(つぼいじえもん)糺(ただ)セシ後、延宝(えんぽう)八年(1680)新開ノ地*8アリテ中川八郎左衛門(なかがわはちろうざえもん)改シト云フ。

*1:現・埼玉県比企郡嵐山町大字千手堂
*2:平沢村と同じ玉川郷に属する。
*3:町(ちょう)…1町は約109メートル。
*4:丁(ちょう)…町と同じ。
*5:御料所(ごりょうしょ)…幕府の直轄領。天領。
*6:大岡越前守(おおおかえちぜんのかみ)…江戸時代中期の幕臣大岡忠相(おおおかただすけ)。先祖は徳川氏三河以来の家臣で旗本。町奉行に昇進して越前守となる。さらに寺社奉行、奏者番(そうしゃばん)になり、加増されて一万石の大名になる。八代将軍徳川吉宗の信任が厚かった。
*7:検地(けんち)…支配地の田畑の面積や生産高を調査すること。
*8:新開(しんかい)ノ地…新しく開墾した土地。

高札場*1 村ノ中程ニアリ。
 小名(こな) 中島 原 谷 上
槻川(つきがわ) 南ノ方鎌形村(かまがたむら)堺(さかい)ニアリ、川幅(かわはば)十八間*2
春日神社 村ノ鎮守(ちんじゅ)ナリ、村持。
番神社*3 同持。

*1:高札場(こうさつば)…掟(おきて)などを書いてかかげた立て札の場所。
*2:間(けん)…1間(けん)は約1.8メートル。
*3:三十番神。天台宗・日蓮宗で、法華経を守護する神。本地垂迹(ほんじすいじゃく)説に基づく。1か月の30日間、1日一体ずつ祭る。

千手院(せんじゅいん) 曹洞宗*1、遠山村(とおやまむら)遠山寺(えんざんじ)末、普門山(ふもんざん)ト号ス。本尊千手観音ヲ安セリ。当院古ヘワヅカノ堂ナリシヲ幻室伊芳(げんしついほう)ト云フ僧一院(いちいん)トナセリ。依テ彼僧ヲ開山トス。示寂(じじゃく)ハ天文(てんぶん)十五年(1546)二月朔日(ついたち)ト云フ。入間郡黒須村蓮華院(れんげいん)ノ観音堂ニカケタル鰐口(わにぐち)ノ銘ニ、奉施人武州比企郡千手堂鰐口大工(だいく)越松本、寛正二年辛巳*2(1461)十月十七日願主(がんしゅ)釜形四郎五郎(かまがたしろうごろう)トアリ、越松本*3ノ三字ハ解シ難ケレド、是(これ)当院ノモノナルベケレバ寛正ノ頃*4ハイマダ堂タリシコト知ルベシ。
光照寺(こうしょうじ) 日蓮宗*5下総国(しもうさのこく)葛飾郡(かつしかぐん)真間弘法寺末、法蓮山ト号ス。本尊三宝*6ヲ安ズ。

*1:曹洞宗(そうとうしゅう)…1227年、道元が中国から伝えた禅宗の一派。臨済宗と並ぶ禅宗の二大宗派。
*2:寛正二年辛巳(かんしょうにねん しんし)…昭和改修版(1957年1月発行)には、「寛政二年辛巳」となっているが、文意と干支からして、「寛正」が正しい。雄山閣版も「寛正二年」としている。
*3:『入間市史通史編』329頁によると、「大工越松本」とあるのは鳩山町小用の鋳物師(いもじ)の製作を意味する(清水与四次『小用村上小用村鋳物師の研究』)という。
*4:「寛政」を*2により「寛正」と改める。
*5:日蓮宗(にちれんしゅう)…鎌倉時代の日蓮を開祖とする仏教の宗派。
*6:三宝(さんぼう)…三宝尊。向かって右に多宝如来、中央に「南無妙法蓮華経」の題目、左に釈迦牟尼仏を配したもの。

『新編武蔵風土記稿第16巻』「比企郡(九)」 新編武蔵風土記稿刊行会, 1957(昭和32)1月15日
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