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第6巻【近世・近代・現代編】- 第9章:戦争

第2節:戦争の記録

前線慰問誌『比企』第1号 (1944)

郡下学生傑作集

元日の朝

          七郷国民学校初等科四年女子 T

 元日の朝はいつもより早く起きて国旗を立てました。その時は何とも言へないよい気持がしました。それから天じんやまへ廻文を持つて行きました。にはとりがわらの上で鳴いて居ました。池や堀にはうすい氷が張つて居ました。私はいかにもお正月らしい気がしました。
 家中そろつて宮城*1えうはい(遥拝)*2ときねん(祈念)をしてからおざうに(お雑煮)をいただきました。その時私はこのお餅を兵隊さんにあげたいなあと思ひました。
 もう神社参拝に行く頃だと思つて、みんなを待つて居ました。そのうちにみんなが来ました。私はみんなと一しょに神社へ行きました。神社にはまだ一人も来て居ませんでした。少したつと向ふから大澤先生が来られました。みんなそろつて「明けましておめでたうございます」と言ひました。そのうちに安藤先生も来られました。
 大澤先生が「みんなそろひましたからそろそろ始めませう」と言はれました。みんなそろつた宮城えうはいをしました。それから戦死された兵隊さん、マキン、タラワで戦死*3された兵隊さんに、かんしやのもくたう(黙祷)をささげました。その時目にあつい涙がいつぱいになりました。それからいろいろ先生のお話を聞きました。そのまま並んで学校へ来ました。ちやうどこうしん様(庚申様)の所へ来た時先生が「ここで、えうはい(遥拝)を致しませう」といはれたので、みんな宮城の方に向つてえうはい(遥拝)をしました。又並んで歩き出しました。
 学校へ来て式をしてから教室でいろいろ、先生のお話をを聞きました。
 家へ帰つて兵隊さんにあげるゐもん文(慰問文)を書きました。

前線慰問誌『比企』第1号「郡下学生傑作集」 1944年(昭和19)5月

*1:1888年(明治21)旧江戸城の皇居を宮城と称して以来、1946年(昭和21)までの皇居の称。戦後は皇居を使う。
*2:遥拝(ようはい)…遠く隔たった所から神仏を拝むこと。宮城遥拝は皇居の方向を望み、頭を下げて敬礼をすること。
*3:マキン・タラワ島の日本軍玉砕。1941年(昭和16)12月日本軍が占領したギルバート諸島のマキン島、タラワ環礁に、1943年(昭和18)11月米軍が上陸、24日日本軍マキン島守備隊が殲滅され、翌25日タラワ島守備隊も殲滅された。12月15日大本営は、「タラワ島およびマキン島守備の帝国海軍陸戦隊は3千の寡兵(かへい)をもって5万余の敵上陸軍を邀撃(ようげき)、奮戦したが、11月25日最後の突撃を敢行、全員玉砕した」という趣旨を発表した。

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