第6巻【近世・近代・現代編】- 第9章:戦争
拝啓 郷土の勇士皆様久しく御無沙汰に打過ぎ誠に申訳ありません。
青葉の蔭懐しき候となりましたがその後皆様にはお変りもなく軍務に御精励の御事と御喜び申上ます。海に陸に、■極寒の地に酷暑の島に、勇戦奮闘せらるる第一線の皆様や実戦さながらの演習■猛訓練を積ませられる後方勤務の皆様方の御労苦に対しては、唯々感謝あるのみであります。
私達が古今未曽有の大戦下に尚も無事勉学の続けられますのは、之全く御稜威(みいつ)の下敢闘せらるる皇軍の御蔭でありまして「御民われ生けるしるしあり」の幸をしみじみ感じると共に、衷心より感謝を捧げ、且皆様の御武運をお祈り致す次第であります。
遠く故郷を離れて皆様には定めし懐郷の念切なるものがお有りのことと存じます。銃をとりての進軍に、瞼(まぶた)に浮ぶ御両親の御顔や出征の日のことども、果ては戦塵収まりし警備の野戦風呂に、或は行軍間小休止の一ト時に、故郷の山河、学校のことなど屹度思ひ出されることでせう。茲(ここ)に七郷村の此の頃、学校の近況の一端を申上ます。先づ見渡す田圃は皆一色の小麦と色付き始めた大麦とが青葉の風にゆられてゐる。増産に奮闘せる村人の力を遺憾なく表してゐます。大麦より小麦は特によく、近村の人々が「七郷の耕地は素晴しい」と賞める程の出来栄えであります。苗代田は旱天(かんてん)続きの為陸、苗代とか沼水を出して共同苗代を作らうとか、些か増産陣営にも暗き影を漂はしめましたが、程なく神の恵か三日許り慈雨が降り続き、一切の心配は解消、立派に水苗代が出来ました。夕■はその苗代田に鳴く蛙の声も漸く賑かとなって来ました。露営の草枕近く聞く蛙
の声に故郷を想ひ起してゐらっしゃる勇士もありませう。養蚕は大眠【第四眠】前後でこれ亦極めて良好の成績です。間もなく明け放しの養蚕家となりませう。大眠の暇を見ての茶摘姿も彼方此方に見受けられます。
次に学校では緑鮮かな葉桜の下に、裸体体操等も現れて心身を鍛練してゐます。先の海軍記念日【5月27日】には四年以上古里から三ツ沼廻り五粁の長距離走を行ひ、体位の向上と不屈不撓の精神涵養に努めました。既に四回目であり、回を重ねるに従ひ成績もよろしく喜んで居ります。亦養蚕期に当り桑の皮を剥いで、之を供出いたすべく国策に協力させてゐます。
次にこれはとうに御知らせ致すべきことでしたが、三月末の職員移動について申上ます。多年皆様を御導き下さった先生方の転任は次の通りです。
久保校長先生 竹沢校へ
田中栄一先生 松山第一校へ
横山先生 小川校へ
鷲峯先生 明覚校へ
島田先生 八和田校へ
塚越先生 退職
千野先生 八和田校へ
小林先生 退職現職員及担任者 担任級 ○印 新任者
○校長 間篠芳治 秩父三田川校より
○教頭 久保龍雄 宮前校より
初一東 沼野(旧姓馬場)まさ
○初一西 大沢八重子 埼女卒
○初二東 高橋幸子 埼女卒
○初二西 新井ユキ子 小川高女卒
○初三男 瀧沢久代 松山高女卒
初三女 荒川味智子
○初四男 島葡闔沽Y 八和田校より
初四女 松本キミ
初五男 松本次郎
初五女 馬場覚嗣
初六男 横山武平 八和田校より
初六女 安藤義雄
高一男 大野安治
高一女 千野友子 小川校より
高二男 内田講
高二女 金子ひさ
青年学校 大塚禎助 田中正光
教練 荻山竜作 飯島良作 鈴木市平右【上】様の次第で現職員二十名一致協力、及ばず乍ら教育報国に邁進し、皆様の後輩をしてよりよき後継者たらしめんと努力して居ります。尚同封の慰問文は甚だ粗末ですが児童の誠心こめて書いたものです。軍務の余暇に御■読下さい。些かなりとも御慰めの糧とならば幸と存じます。
向暑の折而も戦局の前途多事多難の秋、何卒御自愛専一に。
先は乱筆乱文にて近況御知らせまで。 敬具
六月一日 七郷国民学校職員一同
様