第6巻【近世・近代・現代編】- 第9章:戦争
戦時下の半地下工場建設と朝鮮人労働者
戦時下の半地下工場建設と朝鮮人労働者7
父はJ・Nといい、ここは下中(しもなか)と言います。家は当時は農家でした。母屋、物置、豚小屋などがあって、その前に堆肥場がありました。あとは畑でした。向こうの道まで私の家の地所でした。
家には大きな物置があって、その向かいに大きな堆肥場があって、その二階を住める状態にして朝鮮人が住んでいたと思います。父はそこを堆肥場と言ってました。下がコンクリートになっていましたが、今思うとあのような所に住んでいたのかと思います。住める状態にして住んでいたと思います。N・Iさんもいたと思います。小屋はトタン屋根のものです。朝鮮人は10人くらいいたと思います。女の人はご飯を炊く人がいたと思います。私は家に居ても父がうるさいから、あまり口をきくことはしませんでした。私は昭和4年(1929)生まれですから、15歳の頃です。いたのは知っていても、どこへ行って働いているのかわわかりません。みんなまとまって出かけていました。歩いて行きました。Iさんは父親と一緒でした。Iさんは働き、堆肥場で自炊していました。朝鮮人は、私の家には母屋と同じくらいの大きい物置がありましたので、この風呂やトイレを使っていました。
【1998年、話者:嵐山町菅谷U・N氏(1929年生まれ・69歳)、聞き手:石田貞】