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第6巻【近世・近代・現代編】- 第8章:女性の活動

第3節:法人組織

母子愛育会(愛育班活動)

嵐山町の母子愛育班の活動
        母子と家族の健康を守る

 家族の人たちが健康であることは誰しも願うことである。嵐山町大字古里馬内(もうち)地区の区有文書のなかに母子を中心に家族の健康に取り組んだ貴重な記録が残されている。それは母子愛育会の活動資料である。

七郷地区母子愛育班の活動

 菅谷村七郷地区母子愛育会々則がつくられたのは1962年(昭和37)4月1日である。会則第2条に「この会は母子保健衛生問題の解決を主として私たちの健康は私達の手で協力して守ることを目的として地区住民の健康と福祉の増進をはかる」と述べられている。会の構成員は第3条によると、「会の目的に賛同する世帯を会員として入退会は自由」となっている。第5条では「会の円滑なる運営を期するため医師、保健婦、助産婦、村役場、保健所等の専門的科学的技術の提供援助を受けて活動を促進する」と述べられている。組織は第6条によると、会長1名、副会長2名、支部長22名、班長57名、その他監事、会計書記、顧問で構成されている。この第5条と6条の規定を見ると、医療関係の専門家と行政の協力も受けて、組織的には七郷地域全域にわたる取組みであることがうかがわれる。運営に要する経費は第10条によると会費と助成金によるとされている。
 1965年(昭和40)度の事業計画を見ると、「更年期障害」「家族計画」「成人病料理講習」「乳幼児健診」「癌について」「子どものしつけと救急処置について」「血圧測定」などの他に、役場への協力で「乳幼児健診」「妊婦検診」「住民検診」が計画されている。
 なお、菅谷村は1967年(昭和42)4月15日に町制施行で嵐山町になったので4月24日に会則の変更が行われ、名称は嵐山町菅谷・七郷地区母子愛育会々則とかわり、会の事務所が七郷公民館から役場内にかわったが、それ以外多少の表現の違いはあるが活動や組織の基本はほぼ同じである。

いくつかの調査結果の紹介

 活動のなかで貴重な調査結果が報告されているので、いくつか紹介したい。

1966年(昭和41)度、1967年(昭和42)度の菅谷地区と七郷地区の病気因別死亡状況
菅谷地区
 年別  脳卒中 悪性腫瘍 心臓病 肺炎  事故  死亡総数
 1966年 31.7%  7.3%  24.4% 4.8% 12.2% 41人
 1967年 30.3% 24.2%   9.1% 3.0%  9.1% 33人
七郷地区
 年別  脳卒中 悪性腫瘍 心臓病 肺炎  事故  死亡総数
 1966年 29.7%  3.7%  18.5% 7.4% 18.5% 27人
 1967年 38.4% 11.5%  30.8% 3.8%  3.8% 26人

 この調査結果について次のようなことが記されている。
 菅谷地区では、死亡割合は減っているのに、悪性腫瘍(あくせいしゅよう)のみが急激に増え、七郷地区では、肺炎・事故を除きその他の割合が高くなっている。何故なのだろうか。両地区の1967年の状況では、心臓病・脳卒中・肺炎が七郷地区の方が多く、悪性腫瘍と事故による死亡は菅谷地区に多い。両地区の住民の家族構成、年齢構成、職業構成、就業の形態など、生活の様相や環境に即して原因を明らかにし、対策をたてることが望ましい。過去からの踏襲だけの対策だけではなく、いろいろな活動を寄り合わせ、その上で総合的な成果を得るようにする。
 当時のこうした調査と問題提起は、住民の健康への関心を高めるのに非常に役立ったと思われる。

嵐山町の鉤虫状況  鉤虫対策地区検便成績
                被検査者数       鉤虫卵保有者数
年度   地区         該当者数 実数  %  実数  %
1960年 広野・越畑          937  930 99.2  219 23.4
1961年 広野・越畑・鎌形      1805 1685 93.3  592 35.2
1962年 大蔵・根岸・将軍沢      879  732 83.2  258 35.2
1963年 志賀・吉田         1096  921 71.5  343 37.2
1964年 川島・平沢・千手堂・遠山  1005  619 61.6  162 26.2
1965年 古里・勝田・杉山・太郎丸   958  657 68.5  266 40.4

 この調査結果については、「卵の保有者数が多い。駆虫は冬場を狙い、地域住民に具体的な資料を出し、理解と協力を得、地域ぐるみで行なう必要がある。単に投薬だけでなく、生活改善の問題ともからめて、駆除対策を考えていく」と。単に報告だけでなく、続いて具体的な駆除の取組みがなされている。

地域住民の期待に応える活動をめざして

 二つほど具体的な資料を紹介したが、母子の健康を中心にこれ以外にさまざまな調査や対策がなされている。嵐山町における国保の加入状況、結核患者の現状と結核検診、妊婦検診とその結果、乳幼児健診、三歳児の発育状況調べ、成人病検査の状況調べなども行なっている。嵐山地域は1966年(昭和41)度に「保健福祉活動推進地区」に指定されたが、母子愛育班がその推進組織になっていた。
 愛育班の会員自身の研究活動では、自分たちの農作業時間の調査、農家の過重労働と妊産婦の問題、共働き世帯における育児・保育の問題など、母親たちの当面する切実な課題と活動も明らかにしていった。そしてこれらの課題は母子愛育班の努力だけでは解決しない。多くの町民の理解と協力を得ることが絶対必要で、地域組織の活動の大切さが訴えられていた。
 1968年(昭和43)度は菅谷・七郷地区の役員が合同で協議し、その結果次のような活動目標をまとめた。

・料理講習   離乳食、幼児食、成人病中心の講習 
・乳児相談   若夫婦だけの世帯で希望
・血圧測定   部落毎に実施希望
・育児教室   平沢団地で3ヵ月に1回実施
・虫歯予防   予防の知識について講習
・鉤虫対策   集団的に駆虫まで行なう
・環境衛生   環境衛生とは何かの知識を学ぶ
・レクリェーション  地域住民の親睦、年寄りと若い人の交流
・地区座談会  会員全般に組織活動を理解、徹底
・ごみの処理  ハエ等の駆除、危険物の処理

 この目標のもとで1968年(昭和43)度の七郷地区愛育班事業計画がたてられて取り組みが行われたが、地区ごとの座談会の動きが注目される。「子どもの遊び場が必要」「保育所が欲しい」「側溝にふたをし、道路の幅を拡げてほしい」と、そこには自分たちの生活にそくした新しい問題や要望が出されている。
 この資料のまとめには次のようなことが書かれている。

 世の中全体が変化しているように、嵐山町も変わり地区組織活動にも変化のあらわれがある。
  ①みんな多忙になり、役員のなり手がない。人が集まらないので会合が開けない。
  ②子どもを育てあげたひとは、愛育班に関心をもたない。
 今後、嵐山町の地区組織活動、保健と福祉の諸施策を一層着実にすすめる必要がある。このために、母親自身、父親、町民の多くに魅力を感じさせる活動や諸施策を打ち出す。 この内容にみんなの生活が求めるものを盛りこむ努力が必要である。

 このような問題提起が出される背景に、嵐山町域での新しい動きがあった。
 菅谷村から嵐山町への動き、1960年代(昭和30年代後半)から始まる嵐山ゴルフ場建設や明星食品株式会社、根岸電材埼玉工場などを皮切りに始まる工場誘致の動き、バス路線の開通など、高度経済成長期の新しい動きが始まってきていた。「みんな多忙になり、役員のなり手がない。人が集まらないので会合が開けない」という事態の背景に時代の動きがあったのである。その中で住民の求めるものにどう応えていくのかと提起しているのである。

※母子愛育会については、社会福祉法人恩賜財団母子愛育会ホームページの「母子愛育会の概要」等を参照。
※嵐山町の母子愛育班の活動は1998年(平成10)度で終り、現在は育児グループ「くれよんキッズ」等が活動している。

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