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第6巻【近世・近代・現代編】- 第8章:女性の活動

第1節:婦人会

菅谷婦人会『しらうめ』第16号1996

ノーマライゼーション

            菅谷婦人会長 青木祐子

 去る一月二十日、社会福祉協議会主催の「障害者とふれあいの集い」が農耕センターで行われました。障害者と健常者合わせて約百四十名の人たちが集まり、菅谷婦人会でもボランティアグループとして五名参加しました。
 これは障害者があたりまえの人間として普通の一般の社会の営みの中に参加するための機会を広げ、障害の有無にかかわらず人間が平等に権利と義務を担って生きようとするノーマライゼーションの考え方を基に三年前から行っているものです。内容としては、午前中色々なゲームやクイズをしながらなごやかな雰囲気づくりをし、昼食をはさんで午後は講演会やアトラクション等が行われます。外は寒い冬ですが、ホールは参加者の熱気でいっぱいです。私は毎年参加させてもらっていますが、その度に思い出す事があります。今から十数年前の事ですが、それはまるで昨日の事のように鮮明に脳裏に焼きついています。その年、私は語学研修のために二ヶ月程アメリカのミシガン州にあるミシガンランゲージセンターにいました。ある週末、友人のナンシーが住むパタスキーを訪れることにしました。ナンシーは日本人の男性と結婚し、つい最近まで鳩山に住み、私の英会話の先生をしてくれた人です。三日間彼女の家に滞在し、帰りに彼女の車でパタスキー空港まで送ってもらった時のことです。悪天候のため予定の飛行機がまだ到着せず、二時間位遅れるとのアナウンスに不安な気持ちで空港の一隅の椅子に座っていました。ふと入口の方へ目をやると年配の男性が乳母車を押しこちらに来るのが見えました。その男性は私の斜め前の空いている椅子に腰をおろしました。何気なく乳母車を見るとそこに不思議なものがありました。年配の顔をした一歳位の子供が乗っていたのです。帽子をかぶり、口紅をつけ、爪にはマニキュアを塗り、グレーのハイヒールを履いていました。私は見てはいけないものを見てしまったような気がしてすぐ目をそらせました。胸はドキドキし、目のやり場に困りました。この世の中には、たくさんの障害をもった人がいるということは頭では理解していました。でも目の前に現実にこのような人を見たのは初めてなのです。私は努めて冷静になろうとしました。同時に周りの他の人達はどんな風にしているのだろうかと恐る恐る見回しました。皆初めチラッと目をやりはしたものの、あとは何事も無く新聞や雑誌を読んだり、談笑をしたりしているのです。この国では障害をもった人もあたりまえに社会に出ているのだろうか、こんなことを考えながら思い切って再び乳母車に目を移すと、何とその婦人が私の方を見て微笑んでいるのです。思わず私も微笑み返しました。でもずい分変な顔だったかもしれません。その時私の胸の中を暖かいものが流れました。
 数年前に国際障害者年があり、日本でもその後いろいろな場面で障害者が見受けられるようになってきました。「手のひらを太陽に」の歌のとおり、どんな人も体の中には真っ赤な血が流れ、この地球という緑の美しい惑星に平等に住む権利があります。ノーマライゼーションの理念のとおり障害をもつ人も、もたない人もあたりまえに社会に出ていって、手を取り合い支え合って生きていける社会を目ざしていきたいものです。この「ふれあいの集い」が一つのきっかけとなり、将来はこの農耕センターのホールそのものが嵐山町全体に広がっていったらすばらしいと思います。

菅谷婦人会『しらうめ』第16号 1996年(平成8)3月
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