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第6巻【近世・近代・現代編】- 第8章:女性の活動

第1節:婦人会

菅谷婦人会『白梅』第1号1980

みかん狩り

            加藤清子

 昨年(1979)の十一月二十二日婦人会の主催で蜜柑狩りと札所めぐりが挙行された。この秋の一日を楽しみにしていたが、当日は朝から小雨模様。七十余名の会員は雨支度でバスに乗り込む。
 バスは初めの目的地である東秩父村大内沢の蜜柑山へと向った。蜜柑の産地は寄居町風布が北限だと言はれているがこの大内沢も風布のすぐ隣りに接する山峡で蜜柑の歴史はまだ新しいらしく木はあまり大きくないが南傾斜面にきれいに色づいた蜜柑がぎっしりと見事になっていた。
 はさみと籠を借りて蜜柑山に登った。雨の為つるつると滑って足元が悪い。先づ色のよくのったのを一つ食べてみる。とてもおいしい。甘味が強く酸味も程よく、本場の蜜柑と競べて勝るとも劣らぬ味だ。たてつゞけに二つ三つと食べた。あちらこちらから「ここのがおいしいわよ。」と声がかかるとズボンの裾のよごれるのも忘れ、夢中でかけ登っては食べた。
 土産の分も採ってバスに乗るとみかんの他に、しいたけ、こんにゃく、柚子なども大そう持ち込まれていた。
 バスは大内沢から秩父札所めぐりのコースに入り、二十三番音楽寺から始められた。ここは急勾配の山道を登りつめた丘にあり、晴れていれば秩父市内を一望出来る場所である。明治十七年(1884)の秩父事件の際に打ち鳴らしたという梵鐘が本堂の前の鐘撞堂にあった。心をこめて一つ打つと、やわらかい音色は秋霖の中にいつまでも響き渡った。
 ここで昼食をとり二十二番栄福寺、二十一番観音寺、二十番岩之上堂と廻った。
 秩父に来ると何処からでも武甲山が見える筈なのに、この日は見ることが出来なかった。開発の進んだ山肌は時には他人に見せたくないこともあるのかもしれず、「又秩父においでなされ。」と霧の中から叫んでいるやうにも思えた。
 帰りのバスの中は賑やかで、それぞれ自慢の「のど」を披露しながら楽しく一日の旅を終えた。

菅谷婦人会『白梅』第1号 1980年(昭和55)
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