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第6巻【近世・近代・現代編】- 第8章:女性の活動

第1節:婦人会

茜雲(あかね雲)

出会い

            高橋芳子

 昨年の8月2日のイラクのクェート侵攻から、今年2月末の湾岸戦争終結まで、世界中が震え上がりました。
 ともろう会としては、田中さんのご主人を講師に勉強会が開かれ、一つになって考えた事件だと思います。
 私が入会した年は、日本海中部地震*1のあったときで、震源地近くであった実家も大きな被害を受けました。
 初めての班長会に出席して、いきなり武谷会長に「時間のムダ。何か発言しなさい」と言われてびっくりしたことを思い出します。
 人前で話をするのが苦痛だった私は、一撃を受けたおもいでした。
 その後、誰かに「出会い、ふれ合い、育ち会い」という言葉を聞かされました。
 会員も少なくなり、時の流れを感じますが、それぞれの場で、自分を発揮している姿は美しく、うらやましいですネ。

*1:1983年(昭和58)5月26日11時59分57秒、秋田県能代市西方沖80kmの地点で発生したマグニチュードは7.7の地震。津波による犠牲者100名を含め死者は104名に上った。

ともろう会広報部『茜雲』36号 1991年(平成3)3月20日

私とあかね雲との十一年

            中田邦子

 ともろう会も回を重ねて13年。入会当時、幼稚園だった次女も高校二年生になろうとしています。
 「あかね雲」1号は、ともろう会結成(昭和53年5月)2ヶ月後に3人の広報部員の努力で、文面初々(ういうい)しく、やさしい感じの婦人機関紙としてうぶ声をあげました。何でも最初に型を作っていくということは大変なことで、その苦労が2、3号を読んで見ると、とてもよくわかります。
 そんな中で、3号に「家のダンナ」というコーナーに原稿依頼を受け、下手でも書いてみようかと思ったのが「あかね雲」にかかわる最初でした。自分の文章が印刷されて残るという恥ずかしさと誇らしさを初めて味わいました。
 誘われるままに広報部に入ったのが昭和54年(1979)、年毎に会員の数も増え、一時期126名という大所帯になったときもあり、各部、各班に分かれての運動会、作品展、新年会等、写真入りの機関紙も出したりしたものです。
 勢い広報部員も増え、多いときは8名もいて、何度も企画、打ち合わせ等をして力を注ぎ、発行したものです。
 その後の社会の流れで、仕事を持つ会員も増え、会員は激減。今までの行事活動も困難になり、いろんな型を試みながら現在の型になってきました。
 広報もそんな中で3人に減りながらも年3回発行してこれたのも武谷さんの大きな支えがあったからです。
 原稿依頼のむずかしさ、発行した後の開放感、そして何より楽しかったのは、脱線おしゃべり。いろんな話が聞けました。一つのテーマでこんなに考え方がちがうものかと学びました。「継続は力なり」とはげまし、協力してくださった会員の皆さんに感謝しています。

ともろう会広報部『茜雲』36号 1991年(平成3)3月20日

何かあるはず

            安藤正子

 昭和53年(1978)5月、志賀二区婦人会が会員63名で発足しました。
 あれから13年、たくさんの仲間たちに恵れ、多くの事を学んできました。
 その中にあって、会を去っていく仲間を淋しく送りながら自分もいつまで続けられるのかと不安を持ちながらも、もう少し、もう少しと今日まで頑張ってこれたのは、もっと「ともろう会」に「何か」が残っていたからでしょう。
 先細りの「ともろう会」かも知れませんが、まだまだ何かがあるはず、これからも探しつづけながらいってみよう、と思っています。
 又、新しい年度が始まろうとしています。
 素晴しい仲間と、明日みつかるだろう「何か」に向って歩んで行こうと想いを新たにしています。
 二年間、清水会長、田中副会長の後について、「何か」を沢山身につけました。充実した二年間をありがとうございました。
 「ともろう会」に未来あれ!!

ともろう会広報部『茜雲』36号 1991年(平成3)3月20日

正義

            清水千鶴子

 会員の皆様 いかがお過ごしでしょうか。
 そこ、ここにやさしい匂いを漂よわせて可憐な花びらの梅が見られるようになりました。春到来です。
 湾岸戦争が終りました。テレビに釘づけになって見守ったことがうそのようです。
 ふりかえってみますと、世界の男性諸君は、戦争というこの呪しい行為がいかに好きかと思い知らされました。異様な様でした。どちらの立場の人間も「正義」の二文字を主張しました。そして、より多くの人間の命を奪った方が誉められるなんて…… 許されるはずがありません。
 政治や、経済や、民族意識の正義を持ち出してきても、尊く重い「人の命」を軽んじる者はそれを語る資格はないし、そんな「正義」は「ウソだ」と私には思えてなりません。
 今、私たちは世界のニュースに一喜一憂する時代に生き、本当に世界の一員であるという実感を、しみじみ受けます。
 年度末にあたり、「茜雲」を編集、発行して下さった中田、高橋さんの大いなる力に感謝し、心より拍手を送らせていただきます。

ともろう会広報部『茜雲』36号 1991年(平成3)3月20日

「あかね雲」もこの36号をもって休刊となります。永い間のご協力、ご支援、感謝いたします。
広報部        

ともろう会広報部『茜雲』36号 1991年(平成3)3月20日
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