第6巻【近世・近代・現代編】- 第8章:女性の活動
茜雲(あかね雲)
ともろう会文化部の一年
昨年四月部員四十六名でスタートしてから、はや、一年。ただ今、部員六十四名の大世帯です。楽しかった野外部会、との講習会も、皆さん、和気あいあい、楽しみながらの作品作り、婦人会館での料理講習会での舌つづみをうった試食会など、過ぎた日々のことが思い出されます。同時に皆さんにとって、魅力ある文化部であったかどうか、と思わずにはいられません。
ともろう会広報部『茜雲』7号「各部の一年」 1980年(昭和55)3月31日
人との和、リーダーとしての心構えの如何に難しいかが、人とのふれ合いの中で、大変よい勉強になりました。部員が益々ふえる現状では、一部の役員の力だけでは本当の盛上がった活動は出来ない、とつくづく感じました。
今後、この文化部の内容を、より充実させ、有意義な活動をしていくには部員全員が一つの輪になって力を出し合う事が大切だと思います。
「ともろう会」の活動を益々発展させていきましょう。 文化部長河村光子
ともろう会レク部の一年
立春もはや、過ぎたというのに、まだまだ寒い日が続いております。昨年四月、部長はどうしても無理なので変って下さい、と頼まれ、名前だけでもと部長を引き受けました。
ともろう会広報部『茜雲』7号「各部の一年」 1980年(昭和55)3月31日
年度はじめに、主な年中行事を御紹介致しましたが、いざ、実行するとなると、一体何をどの様に運営して良いのか迷ってしまいました。フォーク・ダンスの講習会ですが、年三回の予定が、一回しかとれず、教育委員会の方と相談も致しましたが、先生の都合で中止となり、皆様の御希望にそえなくて、残念に思い、何かそれに変わるものを! と考えましたが、部員の方や場所の関係で思うようにいきませんでした。
でも、町民体育祭の民踊の方では、多数参加してくださり、御好評いただきました。
フォーク・ダンス講習会も、残り二回となりました。部長を引き受けたからには……とやる気十分でスタートを切りましたが、忙しさにまぎれ、御期待にそうような活動が出来なかった事を、深くお詫びすると共に御協力に感謝致します。
どうも一年間ありがとうございました。 レク部長阿久津勝子
ともろう会生活教養部のまとめ
この部は、全会員にむかって開かれた部活動を目標と致します。部員は、企画準備を行ない、行動は会員全員のものとなるはずです。今年度は他部の活発さに比して非常に停滞したものとなりました。
ともろう会広報部『茜雲』7号「各部の一年」 1980年(昭和55)3月31日
・公開講座後の学習会:出席者は毎回10名内外で、活発に意見が出され、有意義な会合と言えますが、その性格上知識の確認、経験の交換の範囲に止まり、それを基点としての行動に拡がる所迄いかなかった。
・広報部と共同で「茜雲」を発行する企画は、合同企画会議の席上で却下されたので、実行できませんでした。
・「新聞を読む会」:時間、会場等、制約が多く、一回企画しましたが、当日、誰方も見えず流会後、実行できずに終り非常に残念です。
以上、ひとえに部長の力量不足の故と反省しております。
反省会に於いて、来年度は、洗剤問題を中心におき、行動を起こそうとの結論が出、とりあえず婦人民主クラブより粉せっけんを購入し、会員の皆様に市価より安くお頒けして、普及に努め、いずれは古くなった食用油を粉せっけんと交換する運動を定着させたい。
新年度の部員増と活性化を心から祈っております。 生活教養部長岡野璃恵子
婦人会活発化の方法
森恭子
元嵐山町社教主事の大島元先生を講師として嵐山町婦人リーダー研修が行なわれました。
昔の婦人会は国→県→市町村と上から命令され、強制的に何かをやらされる国防婦人会であっったが、今は意を同じくする人の集りとなっている。イメージチェンジのため名称を考え、婦人会とつけない方がよい。・行事計画
地域によって、時期的に、行事計画を考える。この会にはいつ頃がいちばんよいかを考えないと計画倒れになる。メンバーの年齢層によって内容が違ってくる。意を同じくして入会しても、人によっては考えが違うので、会員の意見をよく聞いて調整しながら計画を立てる。・リーダーとしての条件
1.人に好かれる人(50%の人に好かれたら立派)
2.人のかげ口を言わない。
3.どんな事でも率先してやる。
4.いろいろな人と対話し、その人の良い所を見つけて自分のものにする。
5.判断力と実行力を持つ。・地域集団として
昔は主人に聞かなければ何も出来なかった婦人が、自分の家のリーダーシップをとるようになり、地域の集りにも出る事が多くなった。男性と同じ立場で、ものを考えられるよう視野を広める勉強をする。教育、社会の動き、世界の情勢を把握する、経済観念を学ぶ、発想の転換をする。・後継者の養成をする
役員を退いた人はそこで引きさがってしまわず、常にリーダーとして存在する。役員ではないから発言出来ないと考えない。・入ってよかったと思われるような会に、そして次の行事が待たれるようなものにしてゆかなければならない。
ともろう会の一員として、皆で考えたいお話でしたので、まとめてみました。
ともろう会広報部『茜雲』7号 1980年(昭和55)3月31日
明日の発展に向って
ともろう会会長 武谷敏子
ともろう会が発足して、すでに二年が経ちました。
ともろう会広報部『茜雲』7号 1980年(昭和55)3月31日
住みよい地域社会をつくることを目的として、当初五十三人の会員が集りました。二年後の今は九十六名に増えています。
会員の増加が会の発展を意味すると、単純に考えるわけにはいきませんが、少なくとも会の衰退ではないと思います。
年度当初の計画を殆ど終えた現在、一年間を顧る機会でもあり、まとめを御報告することも必要かもしれません。しかし、この一年間に、何を、どう行なったかをおしらせするよりも、ともろう会がどうあるべきかを記した方が、より建設的ではないかと思います。
二年間に渉り行なって来たことは、又、今後も続けなければならないことではありますが、殆ど会員相互の親睦をはかる目的で行なわれたものです。それは、親睦を除いては何事も成し得ないからです。
会員相互(住民)が知り合い、年令や、家庭環境の相違から生まれる話題は、お互いに新しい知識や、違う考え方を学ぶことが出来ます。更に一つの行事に向けて協力し、おおぜいの力の強さをあらためて認識した時、そこに連帯感が生じます。
部長や、地区連絡員の御苦労は、活動をスムーズにし、会員のつながりをうながす潤滑油になっています。
ともろう会の基礎がこれで充分とは云えませんが、一応形が備ったのではないかと思います。しかし心ある人々にとって決して満足して頂いているとは思えません。
主婦をとりまく社会情勢もあらためて考えて見ますと、発足当時の二年前に較べるだけでも、経済生活は日々に圧迫を受けています。その上に世界情勢は日進月歩と共に国際問題は危機感をさえ覚えます。
個人ではどう抗しようもない、さまざまの問題にとり囲まれているのが現状です。
そんな大きな問題は、自分には関係がないと言われるかもしれません。決してそうではないはずです。私達が、ほんの少しの注意を怠ったばかりに、汚水処理場の機械の回転が止ったとしたらどうでしょうか。自分ひとり位はいいだろうと行なう行為が公害の原因になっているかもしれません。
価格が高いのも止むを得ないと、何の抵抗も示さないことが、物価の上昇をほしいままにしているかもしれません。
何故そうなるのか、何故そうしなければならないのか、身の廻りをおう一度見直してみたものです。
家庭を守る立場にいる主婦が、家庭を脅かすものから目をそむけてはいられないはずです。
個人では背負いきれない問題を多くの知恵と、行動で、よりよい生活に結びつけていくことが、地域社会に生きている証しになるのだと思います。
ともろう会が、地域の方達に利解され、深く根づいた時、その時こそはじめて、会が発展したと言えるのではないでしょうか。