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第6巻【近世・近代・現代編】- 第8章:女性の活動

第1節:婦人会

菅谷村(合併後)

婦人学級の考察とその進め方 —菅谷村の場合—

1.緒言

 昭和38年(1963)8月、私は社会教育主事の講習を受講する機会にめぐまれた。
 受講者の大多数の者は、直接社会教育にたずさわっていたが、私の場合は、社会教育というものの輪郭も余りよく理解していなかった。
 時には、婦人学級や青年学級の講師を依頼されたり、夏休み中は、子供会の一端として、自分の家に子供達を集めてラジオ体操や学習の場を提供したり、或る時は同和教育に学校の校外指導として、とっ組んだこともあったが、それは真に社会教育と言うものを、どんなものであるかを理解した上に立脚しての考え方や行動でなかったので、思うように成果をあげることが出来なかったし、結果の処理も甚だ不備に終ったことを、今更のように遺憾に思っている。
 その意味で、今回の主事講習が、どんなに有意義であったかは、言を俟たないし、今後に於ける社会教育の活動に、少なからず自信をもつことが出来た。
 更に又、学校教育にたずさわる私は、学校教育と、社会教育という観点に立って、学校教育を考えた時、今まで余りにも視野の狭い教育観にとらわれていたことを、反省せざるをえない。
 一般的な考え方として学校教育が修了すれば、教育は終ったと考える者も少くない。
 それは法的な教育機構よりくる考え方かもしれないが、教育とは、確かに、人間が生れてから死ぬまで、言いかえれば、揺籃から墓場まで、生きている間、教育は必要なのである。
 その理由は言うに及ばないが、人間社会は、今やスピードを増して、科学に経済に政治に、一日と停まることなく進展している。
 そうした社会に取り残されることなく、学習を行い、幸福にして文化的な生活を営むことに努力しなければならないことであろう。
 その学習とは、学校教育が終えてから、こゝに更に社会教育として、教育の形式や過程は、学校教育とは異った方法で行われる。
 こゝに私は学校教師の立場から、青少年の問題か、PTAのことを取りあげようと考えていたが、丁度、私の村で婦人学級の委嘱を県から受けたことから、これを中心のテーマとして、当村に於ける社会教育について、少々考察してみることにする。
 当村の婦人学級は戦後18年になるが、これまで殆んど当教育委員会は、手をつけていない。
 今回、村当局では、婦人学級委嘱を契機に、その推進のため、社教主事補を新たに任命し、教育長のもとに陣容を整え、おくればせながら発足した。
 婦人学級は、多くの場合、婦人会というものが、その基盤になっていることが多い。
 しかし、この菅谷村の、いくつかの地区部落に於ては、種々の事情によって、この基盤となるべき婦人会が崩壊していた。
 婦人会が、公教育の婦人学級に関連をもつことは、婦人会としても独自に種々の催をする場合より、補助金という利点もあるので好都合である。
 更に婦人学級も婦人会を基盤とした方が、実施上確実で、手続上にも案外スムースに考えられるので、村当局も行政上割合気楽さがあるであろう。
 言い換えれば、婦人会を基盤としない婦人学級の結成は、むずかしさがあるとも考えられるわけであるが、しかし一面、婦人会のないところに婦人学級が成立しない理由はないし、却って、或るいは、簡単に成立するかも知れない。
 菅谷村も、その婦人会を基盤にして開設された。
 だが、又この村に公教育としては取扱われないが、一つの地区、即ち鎌形地区【現・嵐山町鎌形】は、そこに大字としての小学校【鎌形小学校】があり、多くの場合、小学校の教師が、字民の啓蒙リードを早くより手をつけてきた。
 そもそも社会教育は、人為的な行政計画にもとずいて始まったものではなく、自然的に発生したものだと各研究家の言うところであり、そうであるとしたら、この一地区の面白いケースの婦人学級は見のがすことは出来ない。
 私は、この一地区の婦人学級を含めて、委嘱された婦人学級を中心とし、この村の婦人学級の考察を進めてみることにする。

2.菅谷村の概況(公教育施行上の基礎資料)

(1)地域の概観
 当村は埼玉県比企郡に属して、略々県の中央部に位し、関東平野と秩父山塊の交差する地帯、即ち比企丘陵に存在する。
 東京池袋より電車で約1時間10分、里程にして60kmばかりであるので、割合東京の影響を敏感にうける。
 村は昭和30年(1955)4月15日に、旧菅谷村と旧七郷村で合併したが、何処の合併にも問題があったように、こゝにも多少の問題が、ないわけでもなかった。
 村の区画は南北に長く、行政的には余りよい区画とは言えない。
 それは旧二村とも南北に長く、その長い旧村は、更に南北に合併し、南端より北端まで、約14kmに及び、巾は、わずか2〜3kmで、行政連絡のみならず、教育その他の行事等にも、不便をきたしていることは事実である。

(2)人口世帯(38.4.1日 現在)
 大字  世帯 人口
 菅谷   392 1710
 川島   79  401
 志賀   158  833
 平沢   96  451
 千手堂  53  323
 遠山   31  171
 鎌形   176 1128
 大蔵   91  541
 根岸   22  128
 将軍沢  40  241
 古里   126  732
 吉田   147  866
 越畑   104  656
 勝田   49  288
 広野   63  403
 杉山   70  404
 太郎丸  29  176
  計  1726 9452
昭38.8.1 1737 9732 男4774 女4958
 〃.9.1 1745 9761 男4796 女4965

 人口も世帯数も増加しつゝあって、現在町制施行推進委員会が出来、遠からず1万以上の人口になるであろうと予想されている。

(3)財政上の問題
 こうした二村の合併には、各分野に支障はあるが、予算編成には、合併当初の感情も残らず、割合スムースに処理されている。
 昭和38年(1963)度の予算額は8135万4890円の膨大なものである。
 その歳出予算額の教育関係の分だけを次に示すと
(5)教育費        12954000 備考:総予算の15.92%
1.教育委員会費       1805800
       社会主事給与  382800
2.小学校3校        7463100
3.中学校2校        2814300
4.公民館          586800
5.社会教育費        213000
6.文化財費          71000
(6)社会及び労働福祉費   1067300
3.児童福祉費        116500
6.社会福祉費        661500
 更に款項目の使途明細を明らかにすれば、
4.公民館費       586800
諸手当     5000
旅費      16000
需用費    139000 図書購入費    50000
体育日    187700 村体協助成    120000
文化活動費  214000 文化活動推進   90000
文化活動推進   60000
成人式      30000
七五三祝     14000
公民館活動促進費 20000
5.社会教育費      213000
      諸手当     50000
      旅費      23000
      需用費     5000
      広報費    150000
      新生活運動費  30000
 主な社会教育費は以上であるが、款項として、公民館及び社会教育と分割しているが、社会教育の中に公民館をむしろ入れるか、社会教育を優先させべきかを一考すべきである。又款項5.社会教育は、殆んど広報費、即ち村の一般的な報道作製として、報道委員会補助で、多くは印刷代になり、所謂社会教育や公民館の広報ではない。
 これは問題であるが、一応指摘だけにしておく。
 そのほか、社会教育に関聯あるものをあげれば、
3.児童福祉費      116500
3.需用費      34200 母と子供の行事 10000
4.負担金及交付金  81300 各協議会補助  77100
里親会      4200
5.労働施設費     105000
職業指導費     105000 勤労所得者組合結成 70000
6.社会福祉費     661500
社会福祉費     300000 同和教育      30000
 以上のようで、概括的には、社会教育費が充実していると思えないし、機構の問題からして不充分である。

(4)産業
 村の産業は主として農業であるが、最近、工場の誘致により、中小企業ではあるが、発展しつゝある。それと共に、村の農業形態は変化しつゝある。
 次に参考のため農業生産高をかゝげる。

菅谷村主要農業生産高
農産物名 作付面積 生産高    換金高概算  備考
水稲   390ha  1228445kg 98643712 60kg 4818
陸稲    73〃   136136   10932042    〃
小麦   242〃   800810   32967090 60kg 2470
大麦   110〃   408883   12223642    1860
裸麦    32〃   114061     4847550    2550
ビール麦 109    397855   15317610    2310
甘藷   125   1809042   16768680  40kg 480(食)
                        51.5kg 300(加工)
馬鈴薯   24     250638   2506400  20kg 200
牛乳   321頭  1637000  54021000   kg  33
繭(収繭)     88308005  55715827
                 303943553
                約3億400万円

 更に土地利用として土地目を分けて、かゝげると、

      面積 m2   %
   田  4074800   13.60
   畑  6692400   22.34
  宅地  1042212.6  3.48
  池沼  321750   1.08
  山林  9220860   30.78
  原野  1022670   3.41
 雑種地  468270   1.56
 その他  7194140   23.75
 合計  30037142.6 100.00

 田が割合に少なく、9452人を養うには若干不足である。
 それに比して山林が多いが、この収入は、平均されず、村の特定の家に片寄っている恨みがある。
 養蚕は割合に平均され、農家の換金の最大の生産額である。

(5)給与所得者(昭38.1.1調査)
地域別         男   女  備考
東京方面        202人 20
浦和・川越・坂戸・熊谷 35   21
東松山         123  39 ヂーゼル器機等
小川          19   7
地元(明星食品)    38   40 明星ラーメン工場
地元(嵐山カントリー) 12   16 ゴルフ場
その他村内       115   67 役場・学校・農協・製材・商店等
 計          544   210
 その他、嵐山カントリーに不定期労務者として約80人、東京方面等へ建築土建に農閑期を利用して約200人の出稼ぎがあり、給与所得が最近大きな収入源になりつゝあることは見のがせない。

(6)社会教育との関係
 さてこれらは当村の社会教育を推進するための実体調査資料で、こうした基礎の上に立脚して成人教育をなすべきで、更にその実態をよりよい方向に改善することに力めることが、間接的には社会教育の遠大な目的にそうことになるのであると思う。
 しかし、以上のような村条件では、成人教育をとらえるのに、非常な難点があることは、単にこの村ばかりではない。とくに交通の便にめぐまれているので、東京や地方都市の、ねぐらと化しつゝあることは否定出来ないから、こゝに更に成人教育の容易でなさを物語る条件が増大してくると思われる。

3.菅谷村の婦人学級の考察と進め方

(1)婦人学級の委嘱
 当村はすでに昭和38年(1963)4月24日、一応申請という形式をとって県より委嘱された婦人学級を前記の実態に即して推進することが、緊要である。
 これより前に、昭和38年度婦人学級委嘱要項なるものが通達されている。

〔昭和38年度埼玉県教育委員会委嘱婦人学級委嘱要項〕
1.委嘱の趣旨
 いままで婦人学級が婦人教育をとおして、生活各般にわたって果たしてきた役割は大きく、年々その開設数もふえている。
 今後社会の進展にともなって、さらに学習の機会の増大をはかるとともに、学習内容を充実させ、その成果がひろく活用できるよう開設を委嘱する。
2.委嘱の対象
 市町村教育委員会に対し開設を委嘱する。
3.委嘱の条件
 学級開設にあたっては委嘱の趣旨にそくし充分効果をあげうるよう、次の諸事項をとりあげ、特色ある学級が開設されるように考慮すること。
(1)実施機関は市町村教育委員会又は公民館とする。ただし婦人団体等と共催により実施してもさしつかえない。
(2)開設の期間は委嘱決定の日より3月10日までとする。
(3)学習時間数は年間30時間以上とする。
(4)学級生は50人〜70人程度を標準とし、固定するものとする。
(5)年間の学習計画が準備されていること。
(6)地域、対象の選定については、次のような事について考慮する。
 例えば、
・地域(市街地・農山村・商店街・住宅地・団地・工場地帯・へき地・職場等)
・年令(20代〜30代の若妻・中年婦人・老人等)
・職業別・立場別(農業、商業、工業、勤人、一般家庭の主婦、内職をしている婦人、幼児をもつ母親、青少年をもつ母親、姑の立場にある夫人等)
等について、できるだけ、その対象をしぼることがのぞましい。
(7)学級編成にあたっては、課題別(課題制又は科目制)立場別。
 グループ制、単一制、単一制にグループ制を加味した形等、くふうすること。
(8)学習は内容については、婦人の生活や教養をたかめるために必要な課題をとりあげて、学習課程を編成する。
 例えば、
・家庭生活に関するもの(衣食住等、日常生活の改善、家庭経営、保健衛生等)
・社会生活に関するもの(市民教育、公明選挙、社会道徳、環境浄化等)
・生産消費に関するもの(職業研究、生産技術、内職研究等)
・こどもの教育に関するもの(幼児教育、青少年教育等)
・体育レクリエーション(体育、ゲーム、コーラス等)
・その他一般教育に関するもの
 等のうち、参加する学級生の最も必要とする課題を重点的にとりあげて、学習するようにプログラムを作成すること。
(9)学習の方法については、学習の目標、内容、学級生の対象にそくし、いろいろな方法をとりいれ、それぞれの利点をいかし、変化のある学習をすること。
 例えば、
 話しあい、実験、実習、講義、講演、見学、生活記録、宿題、視聴覚教材、教具の活用、作成、レクリエーションのとりいれ等。
4.開設、運営上の留意点
(1)市町村教育委員会は学級の開設にあたっては準備委員会(企画委員会)を設けて、開設準備の万全を期すること。
(2)学級の運営にあたっては、開設関係者および学級生によって運営委員を設け、民主的、効率的な運営にあたること。
(3)学級生の積極的な学習活動を育成するため、係(委員)をきめて、学級生全員が役割を分担して、学級運営に参加するようにする。
5.経費
 開設委託費として、1学級あたり20,000円県費を交付する。
以上 

 こうして委嘱は七月に入って本格的にきまり、村では、これに先だち、社会教育主事補の配置を予算化して任命し、これまであまり考えられなかった社会教育も、本年の予算は前に揚げたように貧弱なものであるが、一応、その端緒をつくったことは、本村社会教育進展のために喜ぶべきである。

(2)婦人学級の展開
[1.準備委員会2.運営委員会3.学習計画の問題(村教委と修正)4.アンケートを基礎にする。]
 本村教育委員会では、婦人学級の委嘱を受けると、婦人会の結成されている字地区に呼びかけて、婦人会を基礎とする婦人学級を開設した。
 しかし、この処置は社会教育主事補が婦人会長を通じて、婦人会そのまゝを公教育としての婦人学級に移行させたにすぎない。
 その理由は、前に揚げた昭和38年(1963)の委嘱要項の3.委嘱の条件の(1)にある「ただし婦人団体と共催により実施してもさしつかえない。」とある条項により、共催という形をとったのではなく、開設の手順及び煩瑣をさけるためと開設まで日数がなかったので、こうした便宜処置をこうじたと当局ではのべている。
 ところが図示したように、村の婦人会が、字地区によって結成されていない地区があって、そうした地域は今回委嘱婦人学級の対象には、考えられていない。
 その除外された地域に対して、村教育委員会は、どのように考えているのか、来年度の計画には、入れられるのか、現在のところ見通しはないらしい。
 たゞ本年度は、一応試験的なケースとして、委嘱について婦人会の協力を求めて、開設したという、一方的な運営である。
  (註、県が指導しているので、余り極端な分析や攻撃をさけることにする。)
 県の委嘱要項によると、開設運営の留意点「(1)学級の開設にあたっては、準備委員会(企画委員会)を設けて、開設準備の万全を期すること。」とある。
 この準備委員会については、当村の場合、教育長が社会教育委員と婦人会長を召集し、教育長と社会教育委員と社教主事補と婦人会長の会合で、婦人学級の委嘱を受けることを、決定された。
 県で主意とするところの準備委員会は、開催されず、婦人会長を通して、婦人学級の委嘱を受けたことが、通知され、何時の間にか、婦人会が婦人学級をやることになった。
 普通、準備委員会として考えられることは、
1.地域社会の実情とか、
2.婦人たちの求めているもの、
3.地域の将来性等を充分理解出来る人々によって構成され、話合うべきである。
 それには、
1.婦人の代表も必要である。(出来れば希望者全員がよいだろうが、数人の出席が望ましいと思う。婦人会長に限ったことはない。)
2.勿論、社会教育委員、教育長、主事等
3.婦人に何を求めるかと言うので、一般の意見を代表するような立場の者も必要であろう。
4.地域内の他の社会教育団体(例えば、PTA、青年団、農協婦人部等)
5.公民館学校等会場に予定している管理者
 この程度のメンバーによって準備委員なるものを構成するとよいと思うが、更に必要と思われる関係者達には加って貰うことが、将来の運営によいことと思われる。
 こうして準備されたことを、これを各地区に広報として知らしめるべきである。

〔参考〕昭和35年(1960)茨城県久慈郡金砂郷村では婦人学級の委嘱を受けるに当り、婦人会の総会にて説明があった時、60時間もの出席は不可能であろうと言われたが、役員、公民官長、小中学校長、教育委員会主事等、その他関係者の度重なる協議の結果、普段着のまゝで、近所のもの誘い合って出席すること等を申し合せた。
開設までの会合は
5月下旬 部落婦人会開催(婦人学級賛否を調査)
7月下旬 婦人会役員会(婦人学級参加人員を集計)
8月上旬 婦人会役員と村教育委員会主事との打合せ。
8月下旬 婦人会役員、村教育委員会主事、中小両校長の打合せ(学習の目標費用、開設の時期等)
 《婦人学級これからの経営(生活科学調査会)》

 以上のように、この茨城県の場合は、所謂準備委員ではないが必要に応じて、会合が進められ、こうして学級生となるべき者の納得のいく、自然の積上げであった。
 こうした自然の積上げによらず、準備委員会にて協議して、大綱の決定した場合は、婦人学級の開設を公示によって、募集すべきであろうが、前述のように、当村は、そうした過程をさけている。
 こゝに問題があるのではなかろうか。
 更に委嘱要項(2)には、「学級の運営にあたっては、開設関係者および学級生によって運営委員を設け、民主的な運営にあたること。」
 運営委員は婦人学級を、いかに運営するかという任務をもつものであるから、学習する婦人学級生を中心に構成されるべきである。
 運営には、学習の問題、経費の問題等があるので、学級生のほかに、学識経験者や専門家と勿論指導助言者たるべき教育委員会の立場の人の参加は当然である。
 こうした面から考えると、当村の運営は、単に教育委員だけの立案で、少々婦人会長の意見を聞いたに過ぎなかった。
 こゝに学習計画に対する問題が、かもされたのは当然のことであろう。
 7月15日開校式が、村の各方面の来賓のもとに行われ、いよいよ学習計画のプリントが配布されると、会場の学級生から、さゝやきがおこり、要するに学習計画の変更についてであった。
 これは運営委員会なるものが、学級生の意見を反映させないで学習計画を立案したからである。
 そこで教育委員会では婦人の意見を聞いて立案を全面的に修正することにした。
 次に教育委員会立案のものと、修正された学習計画を掲げてみる。

菅谷村婦人学級実施計画表
   −計画−菅谷村教委
 年月日  項目
 38.7.10 学級始業式
      実施計画にもとずく組織の編成
      映画観賞
   8.10 伝染病に関する一般的知識
      農家のふところを肥す蔬菜栽培
      レクリエーション
      生花
   9.10 レクリエーション
      生花
  10.10 現在農村の理想郷の建設
      生花
  11.25 青少年健全育成
      生花
 39.1.10 一般教養講演
      友つくりプランの立方について
      生花
   2.10 内職の研究
      料理と生花
   3.10 研修と閉講式

—修正—菅谷村婦人学級実施計画表
   7.15 開講式
   7.19 保健衛生講座
      コーラス
  10.10 料理と教養講義
      レクリエーション
  12.10 子供の躾け方
      果樹剪定法
   1.10 読書会 新しい家庭教育
      生花
   1.20 料理
      生花
   2.10 蔬菜の作り方
      生花
   3. 5 料理
   3.10 研修と閉講式     以上

 上に掲げた教委の計画表と学級生による修正計画表とを比較すると、大同小異と思われるが、教委案の全面改正ということは、さけたのであろう。
 教委作成の計画表は、
 1.計画が非常に多くもられている。
 殊に8月10日には、一日の日程が4時間限にて正味6時間になっている。
 これでは暑い時で、講義に馴れていない婦人学級生には、苦痛であろうと考えられる。婦人学級は楽しいと言うことでその目的は半ば達成したとも考えられる。こうした観点より考えれば、あながち、よい計画とは言えないであろう。
 2.更に堅い感覚をもった講義、講演式のものが、修正の方からは、しりぞけられている。その例として、「現在農村理想郷の建設」「一般教養講演」等で「青少年健全育成」も修正の方には、具体的に「子供の躾け方」と変更している。
 やはり学級生自身のもので、農村理想郷の建設という抽象概念より、実際的具体的な、果樹剪定法のようなものから入って理想郷を建設することを考えた方が、婦人学級生に有意義でわかりやすいのであろう。
 3.又、開設日の問題であるが、9月10日頃は、農家は晩秋蚕が、三眠より四眠に移る時期にて、そろそろ忙しい時である。これは学級生の多くの意見で変更になったものである。

修正計画表は、
 1.保健衛生講座が7月19日に繰りあげられている。前の計画では、8月10日になっているが保健衛生は夏季に入り早急に必要であるから、一日も早いことが望ましいと思う。(7月19日以前は既に講師依頼不可能で、修正計画ではもっと早くやる予定であった。)
 2.教委計画に比べると、少々平凡のように感じるが、これが学級生の修正計画したものであるから、実行実施にあたっては、それが、学級生に身近かなもので、前者より効率的であろうと思われる。
 3.「農家のふところを肥す蔬菜栽培」は題名としては、何か意図的に婦人学級へ魅力を持たせようとしているぎこちなさが、うかゞわれる。
 却って修正の「蔬菜の作り方」の方が平凡ではあるが、いやみのないしたしみが持てる。更に前にも述べたが、「青少年健全育成」と堅苦しい題名より、「子供の躾け方」と題した方が、婦人が、家の子を、自分の子を、どのように躾けようかと関心をひくことになるだろう。してみると、掲げる題名にも注意しなければならないし、具体的で平凡で、親しめる題名で、皆んながわかり、皆んなが活動出来るものがよいのであろう。

*婦人学級基礎資料としてのアンケート
 既に婦人学級は開設されているが、参考のためにアンケートをとってみた。
 それは生活科学調査会のものを基本において、私の構想を加味した。
 これによってみると、
1.保健衛生については、老人病の関心が高いし、産児制限についても中年層の者がいるので、割合希望している。
2.又農業経営についても、養鶏、養豚、養蚕について考えているのは、農業労働力の改善、農業の近代化の傾向であろう。
 更に総括的にみて、農村には、まだ封建的なものが根強く残っているのではないかと、うかゞわれた。
 アンケートの処理結果は頁数が多くなるので、割愛することにするが、こうしたものを参考にして学習の計画表をつくることが肝要であろうと思う。

(3)婦人会と学級生の問題
1.婦人会員の学級生
 当村の婦人学級の学級生は、婦人会を基盤にして、その中より希望者70人をもって一学級を編成している。それを地区別に見ると下表のようになる。 旧菅谷地区
 大字 婦人会員数 婦人学級学級生
 菅谷   93      12
 川島   39       7
 志賀   46       4
 平沢   38       5
 千手堂  42       5
 遠山   28       5
 鎌形   −      −
 大蔵   −      −
 根岸   −      −
 将軍沢  −      −
 計    286      38
旧七郷地区
 大字 婦人会員数 婦人学級学級生
 古里   97       7
 吉田   128       6
 越畑   78       6
 勝田   42       3
 広野   58       4
 杉山   60       5
 太郎丸  23       1
 計    492      32
婦人会員    778人
 婦人学級学級生  70人 9%
 この表によると婦人会員のわずか9%で、殆んどの会員は婦人学級の恩恵を、こうむっていない現状である。
 一学級編成は、委嘱を受けたためで、本年は試験的婦人学級開設で、やむを得ないことであろう。
 来年度は、婦人会全員に学級生になるよう今からPRを行い、本年の婦人学級を有意義なものとして、来年度への足がかりをつくっていくべきである。
2.学級生の年令別及び職業別
 更に本年の婦人学級生の年令別職業別の統計をとってみると、
年令別
 20〜29才  5人  7.1%
 30〜39才 27人 38.6%
 40〜49才 28人 40.0%
 50才以上 10人 14.3%
職業別
 農業   59人
 商業    3人
 会社員   2人
 その他  公務員、材木業、洋服業、精米業、製函商、無職、各1人(計6人)
 年令別では、30才〜39才〜49才のものが、78.6%で、21才〜29才、又50才以上の婦人は割合に少ない。
 現在の婦人学級は、70名にて発足しているので、これを年令別編成するのは、少々経費面や運営面で不可能であるが、学級生の多い場合は年令別職業別の開設が望ましく、普通考えられているやり方である。
 20才〜29才の婦人が少ない理由は、
1)婦人会には結婚した人より姑が出てくるのが多い。
2)結婚前の婦人は職業婦人として、農村以外の職場に転出していること。
 給与所得者の前表によると、210名の婦人、不定期的に280名(男女を含む)が工場等で働くが、その80%(約200名)は16才〜29才の女子である。
3)結婚した者であっても共稼ぎが多い。
4)結婚すると、親と一応別居して都市部に居住するものが多い。
 以上のようなことから、20才〜29才の学級生が、他の年齢層に比して少ない理由である。
 だが、この年齢層は、家庭的にも、社会的にも、一番問題が多いだろうと、主観的であるが、考えられる。
 更に職業別の分類では、圧倒的に農業が多い。
 その他の職にあるものも、農家と同じ形態にて、農業経営をしながら他へ勤めているというケースである。(第2種的農業経営)
 だから婦人学級も、農業を主体と考えて、開設しても、大した不合理はないと考えられる。
3.学級生の出席
 更に学級生の出席について検討してみると、婦人学級開設後、まだ日も浅いので、出席状況は統計にはならないと考えられるが、とにかく、よく出席する。
 7月15日(開講式) 欠席 4名
 7月19日     欠席 6名
 開設は2回、欠席は延計10名というよい出席で、このよい出席率を全員で続けるようにする処にも婦人学級の意義があると、思われる。だが、一方公教育としての婦人学級に限らず、社会教育に於ては、一応の成果を出席のよしあしに大きなウエートをおくことになり兼ねない。そうであるとすれば出席率だけが強くしいられて、もっとも大切な学級生の自主的な活動を失なわないとも限らない。
 こうした意味に於て、出席率を重視することは、成果をあげる一つの手段かも知れないが、その反面、学級生の自主的にして活發な活動を失わないよう、リーダーや、助言者は心得るべきである。
4.婦人会の無組織地域について
 更に問題としては、婦人学級生になる対象の問題である。
 前にものべたように、婦人会を対象に考えると、婦人会無組織の地域の婦人は、今のところ学級生になることが出来ないような手続きである。
 しかし学級生になるのに、婦人会員に限ったことはないのであろう。
 当村では社会教育行政担当者が、便宜的に婦人会に依頼して募ったに過ぎない。
 婦人は大体婦人会に入会しているから、その方法が開設には能率的便宜的であるので、婦人会へ呼びかけたわけであろう。
 だが当村には4地区の字(鎌形、大蔵、将軍沢、根岸)に婦人会が結成されていない(図参照)
 こうした地域には早急に婦人会の結成が望ましいと思うが、婦人学級生を、村で婦人会と限定せず、一般の婦人から募集するなら、敢て婦人会を早急に結成する必要はないと思う。
 結成されないのは、それ相応の理由があるらしい。事実前には組織があったが、リーダーのこと、利害関係及び感情等の複雑な要素のもつれであった。
 村教委の行政担当者は、来年度には一般に呼びかけて婦人学級を開設し、婦人会の結成は婦人学級を通じて、必要感を学び、婦人学級を先に、言い換えれば、婦人学級を足場とし、学習を通して婦人会結成という形をとっても遅くないと思う。
 そうした意味で、次に婦人会のない地区の婦人活動をしている鎌形地区を取りあげてみよう。
5.鎌形地区に於けるPTAと民間婦人教育
(a)鎌形は前に揚げた地図によってもわかるように、当村の南隅で、中心よりもっとも遠くはなれている。都合のよいことには、こゝは割合に大きな字で、人口も多く、小学校が第二小学校的な立場で置かれている。
 且って市町村合併促進運動が、法的に進められた以前、この地区だけで分村しようと運動がおこされたこともある。
 婦人会は3〜4年前、婦人会の支部長問題にて、自然解散をしてしまった。
 だが、この地区は、学校中心によくまとまり、学校の教師はPTA活動に熱心である。
(b)最近に於けるPTAの主な行事をあげてみると、校舎改築の運動、六年生徒の臨海実習、子供会及び水泳の会合、料理、学級新聞等、これら諸行事について形式的な会合でなく、子供のことを思う自主的な話合い活動を何回も積み重ねられてきている。
(c)その一つ臨海実習にしても、六年生が四年生の頃より各学年とも話合いを進め、綿密に長期計画を立てる。
 帰って来てからは、反省会を兼ねて、8ミリフィルムの映写までやる。
 このことでも、児童は四年生の頃より反省会まで、母親達は十数回の会合に出席する。
 今こゝに、村の社会教育課の企画によらない婦人学級を、この学校教師が中心になって、展開していく例を考察してみる。
(d)その一つは料理の講習である。
 小学校の女教師3人(飯野、根岸、石川)がリーダーになって、この地区に呼びかけて、度々おこなっている。
 この料理のテーマは、多くは、簡単に出来る農村の料理と、いったもので、土曜日の午後などに行うようにしている。
 はじめ婦人達は、料理の講習なんか、農家に必要あるものかと、参加者が大分少なかったが、大変よい料理講習であったと近所の婦人達に語り、二回目からは、話題をよんで参加者が、どっと急増した。
 こうした捉えて講習生(学級生)に、少しずゝ教養的なものやレクリエーションなどを取り入れて、いきたいものとなっている。
 そこに屹度真の意味の婦人学級が成長することであろう。
(e)次に学級新聞を取りあげてみる。
 この学校の石松教諭の担任する六年生27人のクラスでは、学級新聞「どんぐり」を編集して、月に二回発行する。
 その新聞の一欄だけは、他の学級新聞には、あまり類例がないと思われる。それは「児童より母へ」の欄である。
 27人がそれぞれ、自分の母へ封書の手紙を学校で書き、それを家庭に持ち帰えって母に渡し、必ず返事を母より貰うことにしている。
 波多野勤子の少年期は単に母親と子供の文通だが、これは学級に於ける集団的な文通で、単に文通で終るのでなく、学級新聞に次々と掲載され、親子だけでなく、学級の他の親子へと広がりをもっている。
 殆んど例外なく、親達、農家の母は農家の母なりに、それが、如何にたどたどしくも、成果は学級の児童の成長の中へ根強いものが、きざまれていくことであろう。
 母親達は、学級PTAなどに集まり、その新聞の話合いにまで発展する。
ア)あんな手紙を学級新聞にだして、はずかしかったと笑い興じる。
イ)一度記事になれば、もう、はずかしくなどないから、子供の躾のため、どんどんと手紙のやりとりをして、学級新聞に出して貰いたい。
 こうした母親達は、学級新聞「どんぐり」を育てながら、母親達自身「どんぐり」を通して学習する。
 担任の石松教諭は、みんなどんぐりなんだ。そして、みんな、どんぐりの木のように、そろって成長しなければいけないと言う。
 親たちは、自分の子、一人だけでなく、社会の子供を善導するチャンスと力が生れ、又母親達は自分達で成長し、立派な婦人学級を知らず知らず形成して、そこで学習しているのである。
 全く涙ぐましい学校教育と婦人学級の組合せである。
6.グループリーダーの問題
 以上のように鎌形地区には、学校教師の推進によって、婦人学級の芽生えがある。
 芽生えでなく、或るいは、これが、真の婦人学級の姿であるかも知れない。
 これを成長させるのは、この地区の教師の指導に待つところが大きい。
 勿論、学級の中に所謂グループリーダーなるものが養成されなければならない。
 なぜ殊にグループリーダーの問題を取りあげたかと言うと、この地区の婦人会が自然開散になった理由は、リーダーがいなかったからである。
 リーダーになるような人物が、いなかった理由はどこにあるか。
 その一つとして、この地区は、前のアンケートとの結果封建的な要素が多分に残っていると言うことである。
 家庭に於ては、姑と言うものの存在が、今も尚大きく妻の座として残り、そうした姑は、家庭では隠然たる存在であっても、一端社会に出た時は、社会的訓練を経ていないから、雑談や人のうわさは出来ても、リーダーとしての自身がないのであろう。(こゝらはもっと研究すべきであろう。)
 更に、此の字は、割合に駅から離れているので、直接新しい都塵に染っていない。
 そのため安穏な生活をしているから、何事につけ、他の人の先に立って、やろうとしない。具体的に言えば、皆さんがやれば、私もやりましょう。皆さんが行けば、私も行きましょう、と、万事が、こういったような調子で、民主的らしいが、民主主義以前の消極的なものである。だから、なかなか積極的に先に立ってやろうとしない。
 こうした意味で、仲間の中から、何人かのリーダーが生れるようにお互いに努力すべきであろう。
 もう殆んど、小学校の教師によって下地は出来ているのである。
 次の段階は、料理のグループでも、「どんぐり」新聞批判会でもよい。そのグループを成長させ、グループの世話役や司会や書記などを、交々にやって貰うことである。
 言い換えれば、小集団こそ自主性を芽生えさせる場であるから、グループ内にて積極的に自分で発言者、運営者になってこそ、自主性が養われるのである。
 それは又、このようにすることによって、グループ内の料理学習は一段と深められ、更に進んで、そのグループにはleaderの婦人が成長していくのであると確信する。
7.他施設の婦人学級利用
 更に社会教育の一つの分野に、学校解放がある。
 これは学校施設を利用して講座を設けて一般社会に解放する。社会教育は施設が不足しているので、このように他の施設の利用可能なところは、折衝のうえ大いに利用することが、望ましいことと思う。
 尚当村に於て利用出来る施設としては、有線放送と県立興農研修所であろう。
 有線放送や興農研修所の利用は、何も婦人学級に限ったことはない。
 社会教育全般である。だがこゝに婦人学級を対象に考えてみよう。
 先ず有線放送は、農協の連絡事項だけでなく、ラジオニュース、村づくりの番組、広報活動等、更に学校生徒の劇を放送しているところもある。これは一年のうちには、どの子も一回は出演させる。(自分の子が出るのでよく聞くそうである。)
 これを婦人達は後日持ちよって討論会の資料にするなど、問題はいくつもある。
 この有線放送利用は今後に期待したい。
 興農研修所は、埼玉県の農林部に属し、又、国の対外国的な農業センターとしても利用されている。
 婦人学級の計画に十月十日には、「料理と教養講義」を主題として、興農研修所を利用する婦人学級を開くことになっている。
 こうした方法で、施設を多いに利用して成果をあげるよう、村当局も学級生も努力すべきである。

4.結び

 以上菅谷村の婦人学級についてのべてきたが、いろいろな問題をもっている。
 それに対して、主題にそうように進め方をのべたが、言葉足らず策足らずと言った感じがする。
 一つは公教育として行う場合でも民間教育として行う場合でも、学級生の主体性を尊重し、学級生の希望を入れた学習課程を編成し、学習を進めるべきであろう。
 更に婦人学級を行う前に、基礎調査(村の実態)やアンケートをとり、実態に即した社会教育を行うべきである。
 次に婦人会の問題であるが、婦人会の結成されていない処は、時を見て結成することが望ましいだろうが、敢て婦人会がなければならないこともないだろう。
(たゞ婦人学級開設が、婦人会を基盤にするのなら、なければならないが。)
 だが婦人学級生を、一般婦人から募集するなら、婦人会は敢て必要とならないだろう。
 その場合、婦人会を結成することは早急には是々非ではないであろう。
 前にのべた、鎌形地区などのように、教師の肝入りで婦人学級は伸びつゝある。
 そこには必ず、婦人会も結成される日は、遠くないであろう。
 3つ目には、グループリーダーの養成である。
 農村にはリーダーになるような人物が中々いないと言う。いないのではない。
 村の開設主体者や助言者及び婦人会長等は何事を開催しても、自分の活動の舞台のように、例えば、事を決定するにしても、一方的に処理しがちである。そうした処には仲々よいリーダーは養成されない。
 leaderの養成は、小グループの話合い活動を活溌に行ない、誰でも発言出来る態勢をつくり、その積上げの訓練を通してグループリーダーを養い、それはやがては中集団、大集団の、リーダーとして成長していくことであろう。
 更に4つ目として、村行政が積極的に社会行政を行ってほしいと思う。
 基礎調査として、前に掲げたが、社会教育費は殆んど計上されていないと言ってよい。
 計上されているのは、その予算の殆んどの額は、役場の総務課で行うべき、村の報道の印刷代及び紙代としての項目予算である。
 こうした予算では、款項目だけは膨大に計上されていても、実質的には社会教育にならないと思う。
 こうした点、村当局に呼びかけて、改善をはかりたいと考える。
 最後に有線放送及び県立興農研修所等の活用である。
 前に書いたように、有線放送は伝達用だけでなく、少しでも社会教育の部面に利用されて貰うべきである。
 それは農業協同組合と婦人学級の運営委員又は公民館関係で話合い、お互い村の発展にはセクトにならず、有意義に活用の方途をこうずべきである。
 興農研修所については、村に建設されていながら、村民は殆んど利用していない。していないどころか、それが、どんなことをしているのか、それすら知らない状態である。
 婦人学級では興農研修所を利用して、料理や講義を行うことになっているが、これを機会に村の社会教育は積極的にタイアップをして、村の社会教育振興に利用することが望ましいと思う。
 要するに、菅谷村は村行政の大きな観点から社会教育を再検討して、その重要性を認識し、教育の発展に一段の推進をはかるべきではなかろうか。
               (昭和38年9月 粗稿のまゝ)

埼玉県立小川高等学校『職員研修誌』第9集より 1963年
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