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第6巻【近世・近代・現代編】- 第8章:女性の活動

第1節:婦人会

菅谷村(合併後)

母親大会に参加して

                 石根ユキ

「命を生み、命を育て、命を守る」のスローガンをかゝげた此の会の存在より「赤の手先母親大会を解散せよ」とわめく説得団と称するものゝ赤よばわり宣伝に千駄谷駅での私は強い刺戟を受けふと立ちどまり考えました。そして「今日こそマスコミの網を経ない生のものを此の眼で可能なかぎりしつかりとみて真なるもの、正なるものは何かをつきつめて来よう」という強いものを感じました」
 開会、議長選出の後、河崎なつ女史の貫禄ある声で実行委員長としての挨拶は「新しい世界観で云々…」と大いなる希望をこめて…
  来賓の挨拶
「あの母親大会を妨害する人達にこの真実を愛する雰囲気を見せたい」と「権力で征服するのでなく、愛の結晶で…」「真実と正しさのみが勝利を得るのだということを信じ合つて…」等々、世界の動き、勤評、安保の問題から平和を願うよびかけ、はげましの言葉の数々、中でも国際民婦連副会長のギヤンチヤンシ女史(インド)の「原子力が人間を助けてくれる日まで昼となく夜となく世界中のお母さん方が手をつないで頑張りましょう…キャンシーキャンシー(平和平和)と云いつづけて壇を下りた姿が印象的です。 特別報告(略)
「記念講演、原水爆禁止日本協議会理事長 安井郁(かおる)氏原爆被害者 HYさんの二人目の出産の悲劇(一つの目きりない顔の子供)から何故戦争は起るのか?戦争はどうしたら防げるか—これを一人一人が真剣に勉強し考え合つてそれを実証する事の大切さを話されました。」分科会の報告(略)
 全体討論
 各県のお母さん方の活潑な発言—地についた問題からジツクリ力強くとりくむお母さん—女は弱しされど母は強しの感—
 続いて此の会の蔭の協力者母親にともなう百五十名の子供さん達を三日間身守つてくれた五十名の保母さんへ感謝・紅白カーネーシヨンを飾つた檀上でのひとときも此の会にふさわしいよい雰囲気、又会場のそちこちに子供の世話する父親の姿も又美しかつた。
権力の座にあるものから執拗に「アカ」よばわりされてもたぢろがないお母さんは命がけで尊い生命を守り育てゝゐるからだ、即ち真理の故の強さである事を感じました。そして兎角も今や女性の一人一人が太陽をとり戻す力に漲(みなぎ)つている。少くもそのきざしの擡頭を否定する事はできまいと思いました。私達もお母さん方と手をとり合つて、より正しい力の結集に努力したいと思います。

『菅谷村報道』104号 1959年(昭和34)10月12日
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