第6巻【近世・近代・現代編】- 第7章:文芸・学術・スポーツ
町(村)民体育祭
村民体育大会は取止め
九月十四日午前九時から、役場で村民体育大会について打合せがあつた。出席者は区長、教委及び体協、学校、青年団、婦人会の代表者三十数名。体育大会開催の可否について検討の結果、区長側から村長の気持が盛り上つていないこと字(あざ)の経費がかさむこと、選手の選出が困難であること等の理由で、従来の方式により開催することは賛成しがたい旨の主張があり、全般的に之を認めて、従来方式の体育大会は取止めと決定。更に学校、青年団、婦人会を中心にした全村的体育行事の開催について協議したが、これも学校側の負担が重くなる懸念があるというので盛り立たず結局有力なる体育協会を組織し、村の体育行事はこの協会の役員によつて運営さるべきであるという意見、即ち単に役場とか学校の先生だけの骨折りで実施することは適当でないという意見が圧倒的に会議を支配し先ず体協組織を再編成することに一決して散会した。
『菅谷村報道』126号 1961年(昭和36)9月20日
この体協編成の準備会は、各字及び体育団体から準備委員を出し十月初旬に開かれる予定である。