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第6巻【近世・近代・現代編】- 第7章:文芸・学術・スポーツ

第1節:俳句・短歌

短歌

関根茂章『朝鐘』(抄)(昭和49年)

新春

   遠つ人宇家良(うけら)が花に夢はせし
          武蔵の原は明け染めにけり
   明け染むる比企の山脈(やまなみ)襞(ひだ)のこく
          千古の史(ふみ)を秘の湛(たた)ふかも
   新春(にいはる)の光(ひかり)沁(し)み入(い)る山径(みち)を
          子らと歩めば心安けし
   新春の願ひ抱きつ光(かげ)あはき
          朝(あした)社のきざはしを踏む
   乙女着し紺の絣(かすり)は初々(ういうい)し
          人群る駅に佇ちどまり見る

消防団出初式

   光(かげ)あはき睦月(むつき)の朝を並(な)み立ちて
          眉字かためたる雄の子凛々しき
   若きらは寒気肌つくこの朝
          ひとみさやかに口結び立つ
   新鋭車あやつる顔のかがやきて
          エンヂンの音かるくひびきぬ

成人式*1

   よそほひのかげ鮮けきおとめ子の
          瞳(ひとみ)に沁みむ碧き山脈(やまなみ)
   二十年を歩み来りてすこやけし
          面輪(おもわ)かげらず道いゆきませ

*1:1974年1月15日、菅谷中学校で昭和49年成人式。成人者236人の約6割強の150人が出席。「1952年(昭和27))、53年、朝鮮戦争当時生まれ、繁栄の中に育った青年達」(『嵐山町報道』236号)。

新園舎*2

   幾年(いくとせ)をうからと共に耕せし
          汗滲(にじ)む畑に園舎建ちたり
   夕(よい)闇の迫りくるまで業(わざ)なしし
          憶(おも)ひつもりし墾畑(はりはた)なりき
   子らを待つ園舎の午後は寂かなり
          かなしき願ひ踏み行き給へ

*2:1973年7月着工の嵐山町立嵐山幼稚園新園舎が12月28日完成、1974年1月5日移転、1月8日園児を迎え使用開始(『嵐山町報道』235号)。

日記

   長男の生れし時の古日記
          子と読み合ひぬ日曜の午后
   ひたすらに祈る心情(こころ)のあふれゐて
          父となりし日つつましかりき
   産(う)み終えし妻のやすらぐ笑(えみ)し顔
          こぞの日のごとあざやかに浮く

続日記

   くだちゆくいで湯の夜を独り坐し
          願ひこめつつひた写しけり
   吾が願ひ践(ふ)みゆき給へと古日記
          想ひよせつつ写し終りぬ
   君よ知れ父の祈りを生(あ)れし日の
          おののく文字はすみ滲(にじ)みゐる

木の葉掃き

   埋もれる木の葉を掃けばやわ土に
          光しみ入る朝は寂(しず)けし
   霜を踏む音さくさくとあかときの
          鎮もる山にくぬぎ葉を掃く
   霜柱踏みくずし行く山径に
          朝の光は乱りかがよふ
   山川をこえて沁みくる朝の鐘(かね)
          木の葉掃く手を止めて聞き入る

鬼鎮神社節分祭

   福は内鬼は内なる告(の)り言(ごと)も
          ここに十年(ととせ)を重ねけるかも
   節分祭今年(ことし)も父と臨み得ぬ
          有難しと思ふ安けき月日を

雪の城趾

   降る雪を樹下にさけてたそがれの
          古りにし趾を瞻(まも)りゐたりき
   雪あかり踏みゆく趾のあざやけく
          城趾(しろ)の小径(みち)に刻みつづけり
   白銀(しろがね)の雪降りしきる二の丸に
          佇てば寂しも野山埋めて

青嵐会の大会

   名もいらず命(いのち)もいらず国護(も)ると
          さけぶ雄の子のかなしかりけり
   満ちよする潮(うしほ)の如きどよめきを
          背に聞きつつも館(たち)辞しにけり

歌集『朝鐘』関根茂章, 1974年(昭和49)12月
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