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第6巻【近世・近代・現代編】- 第7章:文芸・学術・スポーツ

第1節:俳句・短歌

短歌

上海青葉病院にて

           根岸・小沢スミ

悲しさに窓邊に立ちて名を呼べど
     そ知らぬ雨に今日も涙す
雨の日に啄木の唄集めいし
     友の仁美を今も忘れじ
つらきとて誰にたよろう心なれ
     指かみしめて涙こらえぬ
町々の庭はほうきのあとついて
     ぴいちくスズメ何語るのか
クリークのおたまじゃくしを手にとれば
     ほのぼのこいし前髪の頃
今日も又帰らぬ日々をいと惜しみ
     むなしく暮すやるせなき身を
ピンセット持つ指先もかろやかに
     看護の朝の仕事にかゝる
白ぬりの病院船の気高さを
     無事であれよと心で祈る
今日も又若草ふみて薬室へ
     我通うなりいくたびとなく
淋しげに唯淋しげにひゞくなり
     夜半のしじまに氷かく音
うつりきてまだしたしまぬこの室の
     窓にしたたる雪の淋しき
残業の友と二人の淋しさは
     机の冷えをしみじみ感ず
月澄めば靴音さゆる巡回の
     今宵淋しき不寝番(ふしんばん)我は
古里の友の便りの嬉しさに
     いくどもいくども読みにけり
悲しさに一人涙す夏の夜半
     思いは走る古里の友
手をにぎり友と学舎をいでしより
     早七歳を送り迎えぬ
神々の試練とは云へあまりにも
     長き病に神をうらみぬ
友は皆教の業にはげめりと
     便りきくたびその幸祈る
あきらめて瞼とずれば涙なを
     なぜか知らずにほゝに流るる
しみじみと啄木の唄思い出す
     今日此の頃の我の生活
思い出す遠きみ空の故郷へ
     我も行きたしあの雲にのり
嬉しさに心おどりてもどりくれば
     母は笑みつゝむかえにきたり
一人居に淋しく文をかく夜は
     虫の泣く声いとど身にしむ
夕暮れを使に急ぐ並木道
     誰か後よりくる気はい
なき友が何時も唄いしあの唄を
     今日も淋しく思い暮す
あまがえる庭で泣きつつたそがれる
     友のめい日淋しかりけり
寒風の吹きつゝくれる裏町に
     物うりの声淋しくひびく
我が部屋の窓辺にゆれるカーテンの
     影さへ涼し夏の夕暮れ
本をよむ夜は静かな雨の音
     悲しくもあり淋しくもあり
やみし人林檎ふくめばぼろぼろと
     味かく悲しき春の夕暮
幸せと言うをもとめて何時よりか
     悲しさ忍ぶ我となりけり
コスモスの花いっぱいに咲きほこる
     その一枝を瓶にさす
思う事みなあきらめて友が身に
     幸多かれと祈る朝夕
妹の何時も変らぬほがらかな
     便りに我は一人ほゝえむ
ねつかれぬまゝに故郷文かけば
     ボーッとかすか汽笛きこゆる
月見草夕暮に咲く河原にて
     共に語りし友今いづこ
淋しさを胸につつみて野を行けば
     夕月あわくかかる夕もや
ねつかれずね返りしれば我が枕
     悲しくひゞく犬の遠ぼえ
くわかたげ夕日あびつゝ帰り行く
     同級の友昔偲ばゆく
つらき事も悲しき事もあきらめて
     じっと見つめる空の青
コウロギのえんがわに泣く声こそは
     我が古里の夏の思いで
何となく母の事など忍ばれて
     涙こぼるゝ今日の我かな
今日の日は又帰りくる事がなし
     あの雲のやう永久に帰らず
故郷も雨降りとかや何となく
     ラジオきき入り淋しく思う
草や木もやっと息する暑ささへ
     知らぬ顔なり谷川の水
流れ行く小川の水に妹も
     笹船流し遊びするかも
何時の日か我が着る白衣は赤十字
     赤きマークのつくぞ嬉しき
色づいた葉も多くなり鈴かげに
     ほろりと落ちた秋の夕暮
柿の木に今はちるべき葉もなくて
     実一つぶ夕日に照れり
うっとりと雨をながめる窓辺かな
     夕立の晴れてしばらくせみしぐれ
二、三日降ってた雨も今日はやみ
     手すりの下のホーヅキの木に風が渡る

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