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第6巻【近世・近代・現代編】- 第7章:文芸・学術・スポーツ

第1節:俳句・短歌

俳句

古老にきく

茶友会と会員俳句(上)

            宮田珪一郎

 今より六十五年前平民文学として寵幸され流行した俳句の会、茶友会のことについて太郎丸の田幡宗勝(八二)氏を訪問、思い出深き会の事について、いろいろと語られましたので書き記したいと思います。(敬称略)
 交通地獄もなく何処へ行くにも徒歩、農家として買う物は暦位、地方の祭典や其他にて催する左エ門や義太夫を聞く楽しみが頂上。農閑又は夜間等うまく応用月並みに自作を発表疲れをぬぐい去り寄り合ふ会これが何よりの慰安! 明日の仕事に懸命を誓ふ我山村の時の姿であった。
此の山村にても庶民文学として俳句の研究会を作り、モノワ、都々逸、川柳等発表明治三十三年(1900)正月相計りて茶友会と名称、俳道一徹に前進したのであります、会友に致しましては三十五、六名会長に権田亀遊を推薦し、文学に強い関心と同時に自己の有用性を再発見し、最も敬遠される意欲不満が解消尚高級的な此山村にては紳士的な娯楽として、発展したのであります、其会友は広野・永島春水、小林如風、同静湖、栗原梅窓、同一風、同晴山、権田松月、同一珠、同一仙、宮本明堂、宮田五生楽、内田春風、栗原露琴、永島竹雨、同竹子、内田一九、大沢一和、静月愚笑、笑風、雪風、一晴等、杉山・水島如水、同如雪、金子梅月、内田松寿等。太郎丸・田幡松雪、中村紅雲、同茂山等の面面、会の選者として広野・文秀斉春昌、楽山居花酔【栗原慶次郎】、杉山・迎翠堂竹水、勝田・夜秋庵如昇、中爪・文令舎可及、又、会を側面より深く援助し育成してくださった宗匠としては、志賀・伏亀軒松秀、玉川・可心庵如柳、羽尾・可秋庵可光、東京・金令舎光哉。開巻毎に鶏鳴暁天を告げるも知らず刎頸の交新たに、熱心に面白く楽しく会に深甚の好意を寄せられた、千手堂の光月、光風、光星、克光、川島の花盛竹生、千里、志賀・峰月、秀月、松栄、松風、菅谷・吉月、美風、鎌形・其風、源風、野風、亀水等であります。会員皆現実の姿を良くとらえ、大きく美しく其表現を強く柔に美と香を深くした風味其の物を十七字に圧縮し月並に発表する熱心さ、ここ月日は流れて明治四十三年(1910)拾周年を記念し、大句集を二回開催正月広野八宮神社に春昌の画二段式の春昌の筆に寄る記念奉額巾三尺八寸長二間を捧げ、拝殿に今尚立派な雄姿を拝見す。又九月広野広正寺本堂に柴玉の画梅洲居士の筆にて、巾二尺八寸長さ三間の席額を奉納す、いかに其熱心さと時の流行を物語る大なる記録であろう。正月第一回句集に於て詠じたるを拾い左【下】に選者より収録いたします。
 夜学した功現すや司召*5、      春昌
 色替えぬ松や十々世も百々十世も、  花酔
 垣越しや広野に香る梅一木、     竹水
 探らばや果し知らぬまに道の奧、   如昇
 冬枯れの中や緑の麦畑、       可及
 此より会員
 ゆがみなきすがる月日や鏡餅、    如風
 続かれて幾世も涼し茶友会、     一珠
 花咲くや山に余りて舟に人、     亀遊
 祝酒には先の肴や小殿の原(ゴマメ) 一晴
 供ふへて尚にぎはしき花見哉、    海月
 五里で良し六里でも良し春の旅、   竹子
 舟と名のつかぬばかしや夏座しき、  雪風
 茶を入れて木逝よび来る日永かな、  一和
 凧揚げや広野の空の一羽鶴、     五生楽
 気は安し蛙聞き聞き延ばす足、    静月
 茶の友の昔話しや菊の主、      愚風
 松に月春十分の眺めかな、      笑風
 帆の見ゆる浜の出店やかしわ餅、   静湖
 千早ふる松に衣や蔦かつら、     竹雨
 秋のなり松山近く来りけり、     一九
 石になるつもりか桶の蝸牛、     茂山
 茶の友の交り深し梅の庵、      一風
 十年の昔なつかし恋し鳥(ホトトギス)晴山
 茶の友の笑顔揃や花の山、      楼窓
 茄子にのみ笑ふ種あり秋の夕、    松林
 十年の汗に立派な出前哉、      松雪
 正直に涼しき大和心哉、       如水
 予算した俵の外や今年米、      亀遊
                 つづく

*1:司召(つかさめし)…官吏を任命すること。

『菅谷村報道』164号「古老にきく」 1966年(昭和41)1月20日
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