第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし
スミさんはこの年3月、小沢長助さんと結婚。玉川村和田(わだ)から菅谷村根岸(現・嵐山町)に嫁いで来た。3月3日の式当日、婚家が「どの辺なのかなと心配しながら歩いた」というような、当時では珍しいことではない状況の中での新婚生活が記されている。
根岸の子育て観音で知られる観音堂が4月14日の火災で焼失したことも日記よりわかる。
二月十三日 木曜日 昭島(あきしま)にて
とりの鳴く声に目を覚ました。時計を見ると六時。支度をしたがまだ早いので、お部屋の掃除して出かけた。
立川へつくとお友達と一つ所になった。私今日は弟のズボンの型紙をしいた。
店に帰ってみるとまだ姉はきて居ない。大急ぎで店を開けてお掃除をした。
姉がきたのでお花のおけいこに行った。今日はつばきの生花竹筒に生けた。残りを小さな花瓶に生けた。店にかざってお店番。昼間は相変わらず日間でした。一人ぼっちのお店番、なぜか遠い昔を忍ばせるどこからか流れくるレコードの音に淋しい気持でいっぱいでした。ようやく姉がきて二人でお店をやりました。
お店と言ってもやたいの小さな居酒屋でした。戦後でしたから何かと大変でした。十時頃店をかたづけて昭島の家へ帰りました。
立川には若い娘パンパン女をつれたアメリカ兵がたくさん居ました。
三月一日 晴
住みなれた昭島を最後に朝一番の汽車で家に帰った。
帰って見ると母が忙しく働いていた。明後日は結婚式だと言うのになぜもっと早く帰ってきなかったと叱られてしまった。何もお家のお手伝いをしないで自分勝手に暮してきた私。色々支度を整へてくれる父母に有難く感謝した。
午後北風が吹いて寒いのにミシンがほしいと言ったので父と二人小川へ行った。岡崎のミシンも余り上等なのはなく、丁度長島先生に逢い、川越によいミシン屋さんがあるからとの事。明日川越に行く事にして家に帰った。
三月二日 晴
今日は風が吹いて寒い日でした。朝一番で弟にミシンを買いに行って戴いた。父は隣組を廻った。母は使をしたり勝手仕事で忙しさう。私は午後髪結に行った。なつかしい土手を通って学校時代の思いでを胸に秘め嫁ぐ日の限りない空想に更っていた。
家に帰ると一年生の巡子が間もなく学校から帰ってきた。しまだを結った私をみると、こっけいな顔で何を思ったかふふんふふんと何とも言えぬ可愛い顔で笑っていた。母も私も思はずふき出して笑ってしまった。
無邪気な可愛い巡子ともお別れと思うと今迄叱るのではなかったと思った。
今日も忙しく暮れた。
三月三日 晴
とうとう嫁ぐ日がきました。朝から隣組の人達が手伝いにきてくれた。十一時頃髪結さんがきたので支度をしていると兄と姉がきた。色々と過去を帰りみると泣きたい気持でいっぱいでした。姉と髪結さんにつれられて春日様へお参りに行った。帰ってみるとみんなお祝いをしてくれていた。私も席についた。組の人達に挨拶をしてその後妹達と一所に夕食を食べて父母に別れを告げて我家を後にした。弟達が荷車にのせた荷物をひいてくれた。どの辺なのかなと心配しながら歩いた。
ようやく小澤家についた。席にやっとすわった。なぜか悲しくなってにげ出してしまおうかと思った。父母の事を考えるとにげ出すわけにも行かず、がまんして居た。式がすんで送ってきてくれた皆様が帰ると急に淋しくなって涙があふれた。涙何か流して見つかったら笑はれると思って人目を盗んでふきとった。もう泣くまいと思っても泣けてきた。一人ぼっちになって淋しかった。
かたづけがすんで朝方近く床についた。中々眠れなかった。
三月四日 晴
朝食をすまして木島先生に支度をして戴き仲人さんに案内されてお参りした後隣組を回った。そのあと里帰り。我が家に帰った。
帰ってみると義兄と姉もまだ居た。義兄は私が田舎に嫁ぐのを反対した。一年半もお世話になって居ながら今更どうしてよいかわからず悲しくなって泣き出してしまった。まあ嫁いだ者は仕方がないからそんなに反対しないで励ましてやってくれと言ってくれた。食糧難だから仕方ないよと言ってくれた。いざと言ふと何時も力になってくれる弟でした。
余り泣いたので見苦しい顔になったので姉がお化粧をなをしてくれました。嫁先へ帰りました。
三月五日 晴
今日は静かなよいお天気でした。丁度和田の久子さんのおばあさんが帰るので私と三人で髪洗いに一緒に行った。私がゆくと間もなく昭島の義兄と姉は帰った。やうやくみんな帰って家の人ばかりになった。
その晩は早く床について色々とお話をしながら休んだ。六日母校の学芸会に妹がやるから是非みにくるやうにと言うので髪結の帰りに玉川会館によった。一年はもうすんでしまったやうでした。少し見て居ると妹の春代の組のリヤ王物語りが始まった。無邪気な春代たちのげきを見て居ると感傷的になってしまって涙が出るのできまりがわるくなってそれが終ると帰った。
三月七日 晴
ようやく落付いて家の人だけになった。みんなよい人なのでやうやく安心した。
九時頃始めて田に出た。麦の間のつぶてこはし、私は初めてでした。お父さんと長助さんは上の田のおじゃがの所をうなってうねを作って居た。
三月九日 晴
今日はお姉さんと三人で麦踏みをした。上の畑がすむと私は実家へ異動を取りに行った。すぐ帰るつもりだったけど、つい話が長くなって暗くなってしまったので弟に送ってもらった。観音様のまがり口坂道まがりなのでブレーキをかけたけど、急に走り出してしまった。中西の物置の西の大きな木に勢よくつき当ったのではねとばされてしまった。鼻血は出るし鼻のあたまに傷は出来るししばらくおきられなかった。弟に自転車をおこしてもらって居ると前の家の人がびっくりしてきてくれた。きまりが悪いので痛いのを我まんしておきて池の所まで歩いた。そこで弟に自転車をなをしてもらった。
家に帰ってあやまると自転車はいいが、けがをしなければと言ってくれた。弟はすぐ帰った。夜おそくなってしまった。
三月十日 晴
今日は家の人が折角たのしみにして箭弓様なので私は余り気が進まなかったけど顔中傷だらけなのでマスクをして一緒に出かけた。駅で長助さんのお嫁さんてみんなが見るので苦痛でならなかった。映画をみて夕方家に帰った。やくざの靴なをしがいてぼんやり歩けなかった。
三月十一日 雨
今日は朝から小雨が降り出したので長助さんの半ズボンをぬった。
三月十三日 晴
田黒の方にたのまれてズボン二こと学生服をぬった。
三月十四日
三吉さんのズボン、割烹着をたのまれた。
三月二十日
家の人の服とジャンパーをなをした。
三月二十五日
田黒のズボンと服を仕上げた。三百円戴いた。
三月二十九日
三吉さんのズボンと服を仕上げた。
四月三日
お節句で実家へ帰った。父がおひな様を持ってきてくれた。
四月六日
母と春代と巡子に送ってもらって私は小沢家へ帰った。
四月十四日 晴
午後二時二十分中西の物をきから火事が起った。二軒と観音様を全焼した。弟が心配してかけつけてくれた。お蔭で家は助かった。
五月七日 晴
今日は和田のお父さんが仕事にきてくれた。苦労して居るので年よりずっとふけて見える。心配ばかりかけてすみません。
五月十日 晴
今日は父の屋根職すっかり終えた。全部すけて戴いた。
六月十一日
身もとける暑さの夏の夕暮を
すづしかれとてひぐらしの鳴く
六月十二日
野も山もきらきら光る夏の午後
セミの泣く音になを暑さます
六月十三日
馬(マ)草刈る夫のかごに一本の
姫百合のぞく赤い姫百合
六月十五日
夫によく似た人の面影に
その後したい庭先まで出でぬ
六月十六日
くりかへし幾年の昔しのぶれど
幼き頃に帰る術なし
六月二十日
一日のつかれを流す我家の
お湯にひたりて今日も無事なり
六月二十五日
家の為出で行く夫の見えるまで
心淋しく我は見送る
七月十五日
暑さにも負けずにくわをふる夫に
負けるものかと我もふるなり
八月九日
水そこの落葉にごしてこいおよぐ
八月二十日
我が夫帰りくるまで待ちわびて
一人淋しく夕暮に立つ
九月一日
我が夫元気ない日は腹だちし
又悲しくもわびしくもなる
九月二日
我が家に帰る我をば見送りて
やさしまなざし嬉しく思う
九月十二日
愛らしく瞳をなげし夫の顔
今は嬉しく思ひ出すなり
九月十九日
我が夫変らぬ心我は今
身にしみじみと幸おぼえけり
九月三十日
雨風につけても我は祈るなり
歩みゆく道楽しみ多しと
窓近くそよぐ木の葉のすさまじき
二百十日のせまる夕暮
十月三日
あの虫も母がいないのかいじらしや
露の葉かげにチチと泣き泣く
十月十四日
我が夫何を思うか首かしげ
机に向ひて我を見つめる
十月十五日
コスモスの小雨に煙る母の家
十一月十日
初霜やコスモスの茎まだ青し
十一月十三日
おやすみのしばしを夫田に行きて
みのれる稲穂のめぐみたのしむ
十一月十五日
投げ入れし秋の草花ながむれば
今年もわずか心わびしく
十二月三十一日
昭和二十三年もかずかずの思い出を後に過ぎて行きます。来年からはしっかりやりましょう。輝かしい希望の一歩をふみ出すべく出発点におくれぬやう心の洗たくに忙しい時です。
来年からはよき妻となって夫の為、我が家の為につくしましょう。