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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第2節:回顧録・作文

婦人のページ

母の手

                菅谷 市川令子

 小学校三年の夏のことです。私は犬かきという泳ぎができるようになりました。そしてもぐることもできるようになったのです。
 急に大きくなったような錯覚から、毎日川へ通いました。午前中泳ぎ、お昼ご飯が済むとまた川へ行ったのです。
 草いきれのする細道を『かくらん』よけのため梅干を食べながら歩いたのを覚えています。
 帰りには、川原のがけの所に生えているねむの葉をとって、ふところへ入れてやります。すると、ねむの葉は葉を閉じるのです。私は洋服の上からねむの葉をそっと押さえ、子守でもしているような気持ちで、ふところのねむの葉の様子をのぞいたものでした。
 そんなある日、私はぐったり畳の上でねていました。ひたいに梅干を数個貼り付け、足のひらに母が塩を擦りつけているのです。私は『かくらん』(日射病)をしてしまったのです。
 塩のザラザラという感触がなくなると、母は新しい塩をつぼからつかみ出して、また足の裏に擦り込むように、ていねいに、しかも手を休めず繰り返しているのです。
 目が覚めると夏の日でも、もう家の中はうす暗くなっていましたが、母の手は動いていました。
「らくになったかい」
「うん」
「そりゃよかった」
といって母の手は止まりました。
 そして、畳に落ちていたねむの葉を私のふところへ入れてくれました。そのときの母の白い手が私の中で今でも鮮明に生きています。
 あの白い手は母の人柄そのものに思えてならないのです。母は子供の病気を自分の手で治したのです。『かくらん』を梅干と塩と自分の手のひらで———
しかも、時間をかけて。
 三十年も前の話です。
 ある目の不自由なご夫婦が健常児であるわが子に親として何がしてあげられるか真剣に考えたそうです。
 これだけは、と考えた幾つかの中に、小学生の女の子には毎朝髪を編んでやるというのがあったそうです。
「自分の手でしてやることが親子の確かなふれ合いになるから」と考えたからです。
 非常に感銘した私は、私の中へこれを受け入れることにしました。健康であっても、怠慢な親は子供側から考えると、ずいぶん迷惑であり、親としてもあたりまえでないと感じたからです。
 話はちょっと変わりますが、九九の勉強は五の段から始めて二の段にもどります。なぜ五の段から始めるのでしょう。
 栗の実がテーブルの上に置いてあります。パッとみて、『いくつあるかわかる数』で一番多いのはいくつでしょう。一般の人でしたら五個なのだそうです。「五個のかたまりがいくつある」と勉強が進みますが、五個という数は片手の指の数なのです。何か不思議に思えてきます。
 十進数と両手の指の数。とても不思議です。神様はどのような意図で『手』を造ってくださったのかと思うときがあります。
 低学年では、両手、両足を使って計算する姿をみかけます。「たくましい子!」とほほえんでしまいます。
 しばらく前のこと、給食費値上げの話題があがった際、毎月一回か二回弁当持参の日を設けたら値上げは防げるのではないかと提案したことがありましたが、取り上げてもらえませんでした。もっとも私の発言は値上げのことより、母の手造り弁当を食べさせましょう、と柱が若干ずれていたかもしれません。
 夏休みなどの親の愚痴をあげてみると、以前は、
○兄弟げんかばかりしていてうるさくて………早く学校が始まるとよいけど
ところが昨今では
○お昼の用意がめんどうだから、早く給食が始まるとよいが
他力本願の親が多いので悲しくなります。
 子供たちとの生活で感じたことのひとつに、食事が子供たちの生活や性格、そして学力に大きく影響しているということがあります。
 肉食を好む者とか菜食を好む者とかで性格判断するのではなくて、片手間の食事を強いられている子供の多くは、
○おおらかさがない。
○何かにつけて不満が多い。
○忍耐力がない。
○学習面で実力が十分活用できない。
とてもかわいそうに思います。食事を大切にしている家庭は、
○おおらかで友達が多い。
○基本的生活態度がしっかりしている。
○落ち着いて学習している。
といった傾向がみられます。
 前述の目の不自由な方のように、
「自分の手で親子の確かなふれ合いを」
と言われているように、母の手をもっともっと生かさなければと思っています。
 手とは不思議なものなのに、人々は生活の中であまりにも粗末にしてはいないだろうか。
 自信と情熱に満ちた母の手には宗教的なものを感じました。母はその手で幾度か私の心とからだを治してくれました。

『嵐山町報道』358号「婦人のページ」 1987年(昭和62)11月10日
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