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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第1節:ひと・生活

里山のくらし

里山のくらし27 古里

古里獅子舞保存会の方々|写真

 古里、兵執神社(へとりじんじゃ)の秋の祭日は原則10月19日前の日曜日で、獅子舞が毎年奉納されています。
 2001年(平成13)7月、夏祭り準備の日、今年は獅子舞が中止になったと聞かされました。この年は獅子と棒司(つか)い役が交替する新稽古(しんげいこ)の年でしたが、後継の役者となる子どもたちを集める事が難航したのが中止の理由です。秋祭りには現役の役者と代役により奉納をすませ、町の無形文化財の獅子舞を絶やすなと古里獅子舞保存会がつくられ、翌春、新稽古を実施しました。会長は飯島竹吉、飯島孝夫、武井康さんと引き継がれ、現在、小中学生を対象に「伝統文化こども教室」を開催して、獅子舞の体験学習と後継者の育成に努めています。

伝統文化こども教室|写真1伝統文化こども教室|写真2

獅子舞の稽古

 2007年(平成19)、嵐山町議選で一週遅れの10月21日の本番を前に、10月6日、7日、13日、14日、兵執神社の社務所で獅子舞の練習が行われました。練習の日程を土曜日、日曜日の夕刻に選らんでも役者が定時に揃わず、電話連絡や子ども教室の生徒の世話で飯島守さんは大忙しです。
 獅子舞の役者は、仲立(なかだ)ち1人、獅子3人、棒司い4人、笛吹き7人〜10人で、先達(せんだつ)の飯島孝夫さんの拍子木の合図で演じ始めます。
 中立ちは獅子役の経験者で、ヒョットコの面をつけ、法眼(ほうがん)獅子、雌(め)獅子、雄獅子を先導して舞います。中立(なかだ)ちの吉場健一さんは1958年(昭和33)、雄獅子の稽古を始めました。「獅子舞が最優先。三人揃わないと舞えないので稽古は休めません。所作(しょさ)が違うと、回りで見ている先輩達に厳しく注意されました」と回想しています。代役で法眼獅子を舞っている安藤正人さんは1985年(昭和60)3月、新稽古でした。「小学4年生でしたが、雌獅子に選ばれたことを誇りに思って練習しました」と語り、役者にお願いしても辞退されることの多い現状を危惧しています。

獅子舞の稽古|写真

 舞に先立ち4人の棒司いが棒術を行い舞う場を祓(はら)い清めます。掛け声が出ないと相手との呼吸が合わず六尺棒が打ち合えません。代役の飯島一郎さん、舎利弗孝幸(とどろきたかゆき)さんが元気に汗を流していました。
 先達は舞い歌を歌い、笛吹も歌います。笛吹きは譜面がないので、師匠格の熟練者と向き合い、指使いを真似ることから修行を始めます。修得に時間がかかるので任期はありません。始めはなかなか音が出ず、続かない人が多いそうです。現在、笛を取り仕切る親笛は横瀬秀男さんが務めています。
 日曜日の稽古終了後、神社の用番が米1升に醤油1合の割合で炊いた醤油飯(しょいめし)と豆腐のすまし汁が出されました。奉納前日の足揃(あしぞろ)いの日の万灯(まんどう)作りや、神社に向かう街道下(くだ)りの行列先頭の万灯担(かつ)ぎ、露払(つゆはら)いの金棒(かなぼう)2人、舞の庭で竹のササラを擦(す)る花笠ッ子4人は、毎年交替する当番郭(とうばんくるわ)から出場します。2007年(平成19)は第3支部の担当です。

醤油飯の支度|写真

『広報嵐山』199号「里やまのくらし」2007年(平成19)11月1日 より作成

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