第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし
生活
お茶つくり
〝美しき五月となれば……〟ハイネだかの詩の一節ではないが、美しき自然の景の展開と共に農家はいよいよ仕事に忙しくなる。お茶つみはそのはしりのようなもの、然しこのお茶づくりはなかなかの仕事で今どきの若い者は殆どしたがらない。昔ながらの老人が昔ながらの方式でやつている、茶炉の中に炭を活けて、上に和紙を何枚も張りつけた台を置き、湯洗をしたお茶を手でより合せるのである。そこには機械的な何ものもない、原始的な方法で今もお茶を作つて飲んでいるわけである、然しお茶の味はこの方が機械茶よりうまいということである、それだけ風味があるのだろう。人工衛星が飛ぶ時代にあまりにも非近代的なこのお茶つくりは然し何かロマンチツクではなかろうか、
およそロマンチツクなるものほど非科学的なのである。吾々はこれからこの村に残つているロマンチツクなるものを訪ねて歩こうと思う。やがてはこれらのものが滅び去り消えうせてしまうからである、それはロマンチツクなものゝ必然の運命であろうから……。※写真右側の人物は紺屋(こうや。屋号)の中島元次郎氏である。
『菅谷村報道』89号 1958年(昭和33)5月30日