第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし
生活
埋葬の仕方は、土葬から戦後になって火葬へと大きく変わってきたが、葬式の仕方も次第に変化してきている。村に残されている史料を基にまだ土葬であった明治期・大正期の葬式の様子を見てみよう。
ご不幸が起ると、まず近所に通知して集まってもらう。一家の人びとも集合して、ここで施主(せしゅ)を加えて葬式の相談をする。葬式の仕事は隣組が主になって執り行った。ご不幸を伝える「告げ人」、これは必ず二人組。役場、買い物、家まわりの諸雑用、穴掘りなどの分担が決まる(『嵐山町史』)。こんな様子が,現在残っている史料からうかがうことが出来る。ただし通夜*1のことはわからない。役場に行った人は埋葬許可証をもらう。これは役場の記録として年ごとに残されている(『埋葬許可証交付帳』)。大正時代は、遠隔地での死亡、伝染病以外は土葬であった。埋葬地は共有墓地が多い。悔香料控簿には香典・病気見舞い・忌明け*2参加者の氏名が記され、後の付き合いの参考にもする。親戚筋は香典の額が多い。家の財力によるのか、時代の風潮かわからないが大正期には、香典の額、振る舞いの費用が多い.蒔銭*3も行なわれている。
*1:通夜(つや)…死者を葬(ほうむ)る前に、家族や親しい人たちが棺(ひつぎ)の前で一晩過ごす儀式。
*2:忌明け(いみあけ/きあけ)…喪の期間が終わって普通の生活に戻ること。ここでは忌明けの法要を指す。
*3:蒔銭(まきせん)…葬儀のときに参列者にまく銭。
「O家」の場合
1883年(明治16)6月
寺 2名
触れ(10地区)17名
米搗き 2名
勝手 1名
竹細工 2名
蓮台 2名
幕張 2名
箱作 1名
寺の供 1名
松明(たいまつ)1名
札 1名
板切 1名
庶務 7名
膳方 1名
穴 6名
47名
1903年(明治36)11月
小川買い物行き 2名
触れ 4名
米搗き 3名
勝手係 1名
竹細工 2名
幕張・蓮台・六地蔵・松明 4名
寺の供 1名
机持役 1名
祓切掛 1名
小持一切 2名
穴 4名
25名
「N家」の場合
1910年(明治43)2月
(死者:戸主の母)
高張提灯 2名
松明 2名
位牌 1名
霊膳 1名
棺掛 4名
花籠 2名
花 4名
香炉 1名
幡(のぼり)5名
21名
1912年(明治45)3月
高張提灯 2名
松明 1名
位牌 1名
霊膳 1名
棺掛 4名
花籠 2名
花 3名
香炉 1名
天外幡 2名
幡掛 4名
墓標 1名
22名
「O家」」の場合
1903年(明治36)
参加者 66名
香典 30円50銭
支出 26円66銭
残 3円84銭
【支出先】
小川買物・かごや
管理者・油揚・寺・役僧
寺供・川島・酒・酢
こんにゃく・穴
米搗き・きよめ料
玉砂糖・はらい色紙
(寺社関係費用約半分)
「N家」の場合
1921年(大正10)
参加者 77名
香典 126円30銭
支出 119円22銭
残 7円08銭
【支出先】
饅頭(まんじゅう)580個46円40銭など引物が多い
50人の人に食事を用意(スシ・煮物・すまし汁・酒)
寺納め関係
参考資料
安藤武家文書 1072番 大野益一家文書6,16,23番
多田一男家文書12番 中村常男家文書786,896,977番
根岸茂夫家文書215番 大野浩家文書 家計詳細録