第6巻【近世・近代・現代編】- 第5章:社会
道
県道舗装負担金で臨時村会招集
既報のように、菅谷市街県道舗装工事は、延長二〇〇米、工費百万円で、この程着工となつたが、この工事費に対する地元負担金は五〇万円になっているので、これが予算措置のため、一月十二日臨時村会が招集された。会議は午後三時、副議長が議長席について開会。追加更正予算案(第四回)を上程村長説明の後、協議会に切りかえ、舗装負担金の財源、歳入の寄附金二十万円について協議、結局原案通り承認することとなつたが、この寄附金は、議会側では原則として五十万円の半分廿五万円を菅谷地区で拠出するよう要望したが菅谷では十万円以上は不可能という情況で、両者の間に食いちがいがあり、その調整を村長に委ねてあつたがその後村長は議会側の意見を尊重して二十万円の寄附を歳入に計上して負担金の財源にあてたものである。尚この予算案はこの外七郷地区道路台帳作成費八三、〇〇〇円干害対策二八〇、〇〇〇円、農業委員選挙費二六、〇〇〇円、計八八九、〇〇〇円の追加を計上したものであるが、いづれも原案通り可決々定となつた。
『菅谷村報道』96号 1959年(昭和34)1月15日
武蔵嵐山駅前通りの舗装実施請願書 1960年(昭和35)8月
行政史料
【埼玉県議会への】請願書
紹介議員
小久保太郎
戸口当正
一、要旨
比企郡菅谷村地内県道玉川武蔵嵐山停車場線の一部(駅前通り二〇〇米)に舗装工事を施して戴きたく請願します
二、理由
本村大字菅谷は県道鴻巣小川線、川越児玉線、玉川武蔵嵐山停車場線、大椚熊谷線の四路線が集中通過し東上線武蔵嵐山駅が存在して比企中部交通の要衝(ようしょう)となっております。従ってこの地区は本村並に隣接地区の政治、経済、教育、文化等住民生活の各般に亘(わた)りその中心地となっており、役場、銀行、農協、郵便局、学校、その他重要施設が全部この地に設置されております。為にこの地区の交通量は極めて多く、県道は殆んど人車往復の絶間がありません。仍って先年当地区並びに近隣住民の強い要望によりこの地区県道の舗装をお願い致しました処、早速お採(と)り上(あげ)下され昭和三十三年度以来継続施工下され、市街地内鴻巣小川線の大半が舗装され、地区民及び一般交通者が多大の恩恵に浴しておりますことは衷心(ちゅうしん)より感謝申上げる次第であります
然るに当地区県道中武蔵嵐山駅から鴻巣小川線に通ずる県道約二〇〇米は地区内の最主要部をなしておるのでありますが舗装の御計画から漏れ未だに砂利道のままでありますので、交通量は最大であるに拘らず有効幅員は狭小となり、交通事故の発生や泥濘(ぬかるみ)、塵埃(じんあい)のため住民並に交通者は甚だしい不安と不自由にに困惑しておる次第であります
右実情御諒察(りょうさつ)の上何卒本年度に於てこの県道の舗装を実施して戴きたく請願申上げます
昭和三十五年八月十五日
比企郡菅谷村長 青木義夫
仝 議会議長 内田幾喜
仝 土木常任委員長 坂本幸三郎
仝 菅谷区長 米山永助